日本野球連盟_(プロ野球)とは? わかりやすく解説

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日本野球連盟 (プロ野球)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/16 07:16 UTC 版)

日本野球連盟
団体種類 社団法人文部省所管)
設立 1936年
解散 1949年
活動地域 日本
活動内容 プロ野球組織
1948年に社団法人へ改組
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日本野球連盟(にほんやきゅうれんめい)は、1936年から1949年まで存在していた日本プロ野球組織、またはそのリーグ名。日本初の本格的全国規模によるスポーツリーグ(プロ選手対象である場合でも日本初)であり、現在の日本野球機構のルーツに当たる。

沿革

以後は日本野球機構#沿革を参照

戦時下の自主規制

上述のアメリカとの関係悪化により、野球が敵国アメリカの国技であるために、陸軍と文部省からの通達もあり、日本野球連盟は英語使用を徹底的に自主規制した。球団名や球団旗ロゴ、用語等の日本語化が押し進められた。

球団名では大阪タイガースが「阪神軍」、東京セネタースが「翼軍」になるなど改称を強いられた(参照)。

野球の用語はアメリカから伝来した性格上カタカナ英語が多かったが、その全てが日本語に改められた。更に一部の日本語用語も、より健闘精神を煽るものへと変えられた。以下はその一例。

他にも延長戦の時間・イニング制限が無くなり、引き分けは天候や日没によるコールドのみに。また犠牲フライ打数に加算されるようになった。1943年頃からユニフォーム国防色使用と、戦闘帽の着用が指示され、卑怯な戦術であるとして隠し球も禁止された。1944年には個を主張してはならないとの理由から背番号の使用も禁止された。

日本人選手以外のいわゆる外国籍選手(当時はハワイ出身の日系人が主)も政府の帰国令などで締め出される形となった。無国籍であったヴィクトル・スタルヒン(当時・東京巨人軍)は登録名を「須田博」として出場、更には戦況悪化に伴い追放・軽井沢に抑留された。

なお、大学野球中等学校野球などは大衆人気が高かったことと、軍部命令により早期に公式大会が中止されたため、職業野球が行なったこれらのような延命策を採らなかった。用語の言い換えなども職業野球でのみ使用され、一般にはそれほど浸透しなかった。

1946年の球団愛称

1946年シーズンでは鈴木惣太郎の提案により各球団に愛称が付けられた。以前より東京巨人軍が「巨人」と呼ばれていたことに倣ったものである。

新聞報道などではこの愛称で表記されることが多かった。愛称と球団名を繋げて「太平パシフィック」「近畿グレートリング」「青鞜セネタース」「金星ゴールドスター」の表記も見られた(球団の正式名称ではない)。各球団の反発に合い1年限りで取り止めとなり、翌1947年にアメリカメジャーリーグベースボールを参考にしたニックネームが採用された。しかし東京巨人軍は「読売ジャイアンツ」と改称したものの「読売巨人軍」の名乗りを重視しており、4月3日の自社紙面の布告においても「読売巨人軍と変更」とのみ記載して「読売ジャイアンツ」の名を記載していない。

加盟球団とその変遷

(注)1945年は活動中止

  • 東京巨人軍(1936-1946) - 読売ジャイアンツ(1947-1949)
    セントラル・リーグ
  • 大阪タイガース(1936-1940.9.24) - 阪神軍(1940.9.25-1945) - 大阪タイガース(1946-1949)
    →セントラル・リーグへ(現・阪神タイガース
  • 名古屋軍(1936-1943) - 産業軍(1944-1945) - 中部日本(1946) - 中日ドラゴンズ(1947-1949)
    →セントラル・リーグへ
  • 阪急軍(1936-1946) - 阪急ベアーズ(1947.1-1947.4.17)[注 1] - 阪急ブレーブス(1947.4.18-1949)
    パシフィック・リーグへ(現・オリックス・バファローズ
  • 大東京軍(1936-1937春) - ライオン軍(1937秋-1940) - 朝日軍(1941-1945) - パシフィック(1946) - 太陽ロビンス(1947) - 大陽ロビンス(1948-1949)
    →セントラル・リーグへ(後の松竹ロビンスで現在は消滅)
  • 後楽園イーグルス(1937春-1937秋) - イーグルス(1938春-1940.10.5) - 黒鷲軍(1940.10.6-1942.9.11) - 大和軍(1942.9.12-1943)
    →解散
  • 南海軍(1938秋-1944.5.31) - 近畿日本軍(1944.6.1-1945) - グレートリング(1946-1947.5.31) - 南海ホークス(1947.6.1-1949)
    →パシフィック・リーグへ(現・福岡ソフトバンクホークス
  • 東京セネタース(1936-1940.10.16) - 翼軍(1940.10.17-1940末)
    →名古屋金鯱軍と対等合併、大洋軍を結成
  • 名古屋金鯱軍(1936-1940)
    →翼軍と対等合併、大洋軍を結成
  • 大洋軍(1941-1942) - 西鉄軍(1943)
    →解散
  • セネタース(1946) - 東急フライヤーズ(1947) - 急映フライヤーズ(1948) - 東急フライヤーズ(1949)
    →パシフィック・リーグへ(現・北海道日本ハムファイターズ
  • ゴールドスター(1946) - 金星スターズ(1947-1948) - 大映スターズ(1949)
    →パシフィック・リーグへ(後の大映ユニオンズで現在は消滅)

試合方式

年度別順位

  • .は左のチームと同率順位
年度 優勝 2位 3位 4位 5位 6位 7位 8位 9位
1936春 順位なし(セネタース金鯱タイガース阪急名古屋大東京
1936夏 順位なし(阪急タイガースセネタース名古屋金鯱巨人大東京
1936秋 巨人 タイガース 順位なし(阪急名古屋セネタース金鯱大東京
1937春 巨人 41 13 2 タイガース 41 14 1 セネタース 30 26 阪急 28 26 2 金鯱 25 30 1 大東京 21 31 4 名古屋 21 35 イーグルス 12 44
1937秋 タイガース 39 9 1 巨人 30 18 イーグルス 28 19 2 金鯱 23 25 1 セネタース 20 27 1 ライオン 19 29 1 阪急 17 29 3 名古屋 13 33 3
1938春 タイガース 29 6 巨人 24 11 阪急 21 13 1 イーグルス 18 15 2 セネタース 13 21 1 金鯱 13 22 名古屋 11 24 ライオン 9 26
1938秋 巨人 30 9 1 タイガース 27 13 阪急 21 17 2 名古屋 19 18 3 セネタース 19 20 1 ライオン. 19 20 1 イーグルス 15 20 5 南海 11 26 3 金鯱 11 29
1939 巨人 66 26 4 タイガース 63 30 3 阪急 58 36 2 セネタース 49 38 9 南海 40 50 6 名古屋 38 53 5 金鯱 36 56 4 ライオン 33 58 5 イーグルス 29 65 2
1940 巨人 76 28 阪神 64 37 3 阪急 61 38 5 56 39 10 名古屋 58 41 5 黒鷲 46 54 4 金鯱 34 63 7 南海 28 71 6 ライオン 24 76 4
1941 巨人 62 22 2 阪急 53 31 51 大洋 47 37 3 南海 43 41 阪神 41 43 名古屋 37 47 黒鷲 28 56 1 朝日 25 59 1
1942 巨人 73 27 5 大洋 60 39 6 阪神 52 48 5 阪急 49 50 6 朝日 49 50 6 南海 49 56 名古屋 39 60 6 大和 27 68 10
1943 巨人 54 27 3 名古屋 48 29 7 阪神 41 36 7 朝日. 41 36 7 西鉄 39 37 8 大和 35 43 6 阪急 31 51 2 南海 26 56 2
1944 阪神 27 6 2 巨人 19 14 2 阪急 19 15 1 産業 13 21 1 朝日 12 22 1 近畿日本 11 23 1
1945 戦況悪化のため中止
1946 グレートリング 65 38 2 巨人 64 39 2 大阪 59 46 阪急 51 52 2 セネタース 47 58 ゴールドスター 43 60 2 中部日本 42 60 3 パシフィック 42 60 3
1947 大阪 79 37 3 中部日本 67 50 2 南海 59 55 5 阪急 58 57 4 巨人 56 59 4 東急 51 65 3 太陽 50 64 5 金星 41 74 4
1948 南海 87 49 4 巨人 83 55 2 大阪 70 66 4 阪急 66 68 6 急映 59 70 11 大陽 61 74 5 金星 60 73 7 中日 52 83 5
1949 巨人 85 48 1 阪急 69 64 3 大映 67 65 2 南海 67 67 1 中日 66 68 3 大阪 65 69 3 東急 64 73 1 大陽 52 81

チーム別記録

  • 1949シーズン終了時点のデータ。データは各前身球団を含む。「Aク」はAクラス、「Bク」はBクラスを表す[注 2]
  • 太字の項目は最多数を表す。球団の列のソートボタンで元の順序に戻る。
  • 翼・金鯱・大和・西鉄の各球団は1949シーズン終了時点で消滅しているため参考記録として扱う。
球団 1位 2位 3位 4位 Aク計 5位 6位 7位 8位 9位 Bク計
01/巨人 9 5 0 0 14 1 0 0 0 0 1
02/大阪 4 5 4 0 13 1 1 0 0 0 2
03/中日 0 2 0 2 3 2 2 4 2 0 11
04/阪急 0 2 5 5 12 0 0 2 0 0 2
05/大腸 0 0 1 1 2 2 3 2 4 1 12
06/南海 2 0 1 2 5 1 2 0 3 0 6
07/東急 0 0 0 0 0 2 1 1 0 0 4
08/大映 0 0 1 0 1 0 1 1 1 0 3
09/ 0 0 1 2 3 3 0 0 0 0 3
10/金鯱 0 0 0 1 1 1 1 2 0 1 5
11/西鉄 0 1 1 0 2 1 0 0 0 0 1
12/大和 0 0 1 1 2 0 2 2 2 1 7

球団歌

1940年(昭和15年)に開催された満洲リーグ戦の時点では以下の通り加盟全9チームが球団歌を作成しており、同年7月に大連市で発行された選手名鑑『職業野球早わかり』に歌詞が掲載されている[1]。大半はレコード未作成かつ楽譜の現存が確認されておらず、歌詞のみしか伝わっていない。

球団名 タイトル 作成時期 音源・楽譜 備考
東京巨人軍 巨人軍の歌(野球の王者) 1939年 レコードあり 1949年に「ジャイアンツ・ソング」へ代替わり
大阪タイガース 大阪タイガースの歌 1936年 レコードあり 1961年に「阪神タイガースの歌」への改題・歌詞一部変更を経て現存
名古屋軍 名古屋軍応援歌[2] 1936年 歌詞のみ 1950年に「ドラゴンズの歌」制定
阪急軍 阪急職業野球団応援歌 1936年 楽譜あり[3] 1950年に「阪急ブレーブスの歌」へ代替わり
ライオン軍 制覇に進む若き獅子 1939年 楽譜あり[4] 1948年に「輝けロビンス」制定
イーグルス イーグルス応援歌 不詳 歌詞のみ[5]
南海軍 南海軍の歌 1939年頃 歌詞のみ[6] 作曲者不詳、1952年に「南海ホークスの歌」制定
東京セネタース 東京セネタースの歌 1940年 レコードあり[7] 2013年のライオンズ・クラシックで復活演奏実施[8]
名古屋金鯱軍 金鯱の歌 不詳 歌詞のみ[9] 総監督の岡田源三郎が作詞[1]

このうち名古屋軍と阪急のものは表題を「応援歌」としているが、公式の「球団歌」とその他の(公認・非公認を問わない)「応援歌」が区別されるようになったのは1960年代から70年代以降にかけてであり、1リーグ時代において両者の区別は曖昧なものであった。

出典

  1. ^ a b こんにちは図書室です「“選手名鑑”昔と今」”. 野球体育博物館News Letter』第18巻1号 (2008年4月25日). 2022年2月1日閲覧。
  2. ^ “【プロ野球】応援歌の元祖は中日だった?”. mimi-yori (アンサンヒーロー). (2020年4月2日). https://mimi-yori.com/entry/baseball/trivia_oenka 2022年2月1日閲覧。 
  3. ^ 『阪急ブレーブス五十年史』(阪急電鉄1987年)「昭和11年(1936)」 NCID BN02610755
  4. ^ 山際康之『広告を着た野球選手 史上最弱ライオン軍の最強宣伝作戦』(河出書房新社2015年), p191 ISBN 978-4-309-27574-1
  5. ^ イーグルスの歌(綱島プロ野球研究所)
  6. ^ 『野球界』1939年11月号付録『職業野球便覧』
  7. ^ 野球殿堂博物館(@baseballhof1959)の2021-04-20のツイート
  8. ^ 杉並とプロ野球-東京セネタース(すぎなみ学倶楽部)
  9. ^ 金鯱の歌(綱島プロ野球研究所)

脚注

  1. ^ 1947年のオープン戦まで。公式戦では一度も使用していない。
  2. ^ 1944年以外では4位以上を、1944年のみ3位以上をAクラスとする。

関連項目


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