日本側当事者・関係者
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 08:24 UTC 版)
「ハル・ノート」の記事における「日本側当事者・関係者」の解説
来栖大使 「この文書の冒頭の欄外に (Tentative and without commitment 暫定且無拘束)としてあり、且つ先方は一案(a plan )であると説明したのであるが、その内容からすれば、米国側は従来の主張から一歩も引いていないことが判る。のみならず、全然交渉の始めに戻ったと云う方が適当な点が多い」「乙案の受諾は出来ないから、更に議論しようというのである」「乙案提出の際に、「右ニテ米側ノ応諾ヲ得サル限リ交渉決裂スルモ致シ方ナキ次第ニツキ」と訓令されている上に、二十九日までに調印をも完了というタイム・リミットを課せられている我々の失望は甚大なものであった」と回想している。また、ハル・ノートを最後通牒かと思ったか否かについては、「最後通牒とまでは思わなかつたが、当時の事情の下に於いてはそうも思える」としている。 野村大使 ルーズベルト大統領とハル国務長官について、「米国の信条とする対外政策の諸原則に膠着し、一歩もその埒外に出ることなくgive and takeは少しもなかった」「両者とも非常に世論を顧慮する。これがけだしデモクラシーの正体であろう」と回想している。 東郷外相 日米交渉の経過について、「日本の提出した要求の過大なることは勿論であるが、米国の態度が四月所謂日米諒解案の頃とは変調を見せ、六月末の提案を固執して些の譲歩をも示さず、殊に七月末資金凍結以来は極めて非妥協的で、只時日の遷延を図つて居るとしか思へなかつたことである。米のこの態度は交渉の決裂延いては戦争を辞せざるの決意なくしては執れないとの印象を強く受けたのである」「これでは松岡君が交渉不成立を見越してその打ち切りを主張した理由がわかる。むしろ内閣で我が要求条件を緩和しないでただ交渉成立を楽観していた理由が不可解だ」と回想している。また、撤兵問題について「支那に於ける日本の駐兵が不都合であると言い乍ら、外蒙(現在のモンゴル国)に於けるソ連軍隊の駐在に抗議せざるは不公平である」としている。 重光葵 ハル・ノートについて、「仮令、尚、試案なりと銘打ってあっても談判の最後的階段に於て提出したものであるから、甚だ非妥協的なものである。日本側が公然述べて居る大東亜共栄圏の確立、支那事変の完遂、三国パクトによる枢軸政策とは大凡縁の遠いものである。日本の提案と此米国の試案とを調和せしむることは絶望とは云はずとも至難なことである」と手記に書き残し、また「此の提案に接した日本政府は殆ど交渉継続の熱意を喪失」したとも記している。 有田八郎元外相 「況んやハル・ノートには最恵国待遇及び通商障壁低減の措置に基く日米通商条約の締結、資金凍結令の廃止、円弗為替の安定、原料物資の無差別待遇原則の支持等平和日本の経済発展に有利に利用し得べきものが含まれていたのだから、なを慎重に考え直して見るべきであった」として、ハル・ノートを受諾してもよかったのではないか、と戦後に述べている。 吉田茂 ハル・ノートについて、「すなわちこれは『試案』であり、『日米交渉の基礎案』であるといっている。実際の肚の中はともかく外交文書の上では決して『最後通牒』ではなかった筈だ。私はあらためて東郷外務大臣を訪ね、・・・執拗にハル・ノートの右の趣旨をいって、注意を喚起した」「私は少々乱暴だと思ったが、東郷君に向かって『君はこのことが聞き入れられなかったら、外務大臣を辞めるべきだ。君が辞職すれば閣議が停頓するばかりか、無分別な軍部も多少反省するだろう。それで死んだって男子の本懐ではないか』とまでいったものだ」と回想している。 佐藤賢了 「『暫定協定案が十一月二十六日のハルノートの代わりに来ていたら、あなた方は戦争を決心したか、せんか』ということを東條総理・東郷外務大臣・賀屋大蔵大臣・武藤軍務局長・嶋田海軍大臣・岡軍務局長等、関係者にきいてみた。さすがに東條さんは、『うん、これがくればむろん……』、といいかけられたが、まさかこの期におよんで『これがくれば戦さしなかった』ともいえない、というような顔つきで『ウーン』といって、後は黙ってしまわれた。それから後の人は全部、『これさえ来とりゃ戦さするんじゃなかった』といった。しかし、果たしてそうかどうかは、質問した場合が、戦いはもう負けて、捕われの身になってからの感じであるので、もしも、そんなものが実際十一月の二十五日か四日に来たら戦さをしなかったどうかは、非常に疑問である」と回想している。 「暫定協定案で雀の涙程の石油をくれても、それでは当時、日本の石油問題は無論解決しなかった」「交渉を延ばせば日本の海軍はもう足腰たたなくなるということを、アメリカはソロバンにおいているのだから。それならやっぱり、ただ日本の言い分が少し通ったというだけで、実質は結局、何にもならないのである。だから、やっぱり戦争になったのじゃないかと思う」。
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