日本以外でのヒット
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 00:04 UTC 版)
「上を向いて歩こう」の記事における「日本以外でのヒット」の解説
1962年、ヨーロッパでこの曲が紹介され、大ヒットした。フランスなどでは原題と同じ意味のタイトルで発売されたが、イギリスでは「SUKIYAKI」、ベルギーやオランダでは「忘れ得ぬ芸者ベイビー」という曲名で発売された。 1962年、イギリスのディキシーランド・ジャズのトランペッター、ケニー・ボール(英語版)が彼のバンドでインスト曲として演奏し、「SUKIYAKI」(無論、曲自体に『すき焼き』という単語は出てこない)というタイトルで発売、全英チャートで10位にランクインした。 「SUKIYAKI」という曲名は、ケニー・ボールの所属したイギリスのパイ・レコードの社長ルイス・ベンジャミンが契約の話で来日した際、土産にもらった数枚の日本のシングルレコードをホテルに帰ってから聴いた中にあった「上を向いて歩こう」を大変気に入り、帰国後ジャズでリリースすることに決めた。その際レコードには日本語のタイトルしか印刷されておらず、『原題の「UE O MUITE ARUKOU(上を向いて歩こう)」のタイトルがわからず、日本で契約の際に会食した「スキヤキ」が心に残る食べ物だった』という理由で、日本料理の名前を付けたものだと言われている。しかしケニー・ボールの証言では、「上を向いて歩こう」ではタイトルが長くなってしまうので短くわかりやすい日本語の曲名をつけたかったが彼が知っていたものが「SUKIYAKI」と「SAYONARA(さよなら)」ぐらいだったため、「サヨナラ」では暗すぎるのでどうすれば良いかと思案していたが、中華料理屋での会食で同席していた友人の女性歌手ペトゥラ・クラークに相談したところ「SUKIYAKI」がいいと言われたこともあり、タイトルに採用されることとなった。 実はケニー・ボールはレコーディングの直前に最愛の母を亡くしており、その哀しみをトランペットに込めて演奏、これもヒットにつながった要因の一つといえる。 なお、ケニー・ボールは現在でも自分のバンドの演奏レパートリーにこの曲を加えており、2005年にはこの曲が海外でヒットした経緯を辿る番組のために、彼のコンサートを訪れていた坂本九の次女の大島舞子(舞坂ゆき子)を特別にヴォーカルに迎えて演奏した。 アメリカでは、イギリスでヒットしたケニー・ボール楽団のレコードが発売されたが、チャートの100位以内には入らなかった。しかしワシントン州パスコのラジオDJリッチ・オズボーンが偶然坂本九のレコードを入手し、ラジオ番組で「SUKIYAKI」として紹介すると、局に問い合わせが殺到した。メロディも今までの曲調とは違い、ボーカルもジャズやロックシンガーのようなテイストがあるとティーンエイジャーから火が付いた。当時は女性が歌っていると勘違いする人もいたという。そして1963年、「SUKIYAKA」の題でキャピトル・レコードから発売が決定した。この「SUKIYAKA」という米題は誤植ではなく、ラジオDJが曲紹介をする際、歌手の「KYU SAKAMOTO」と韻を踏ませるために、キャピトル・レコードのデイヴ・デクスター・ジュニア(英語版)が意図的に命名したものである。しかし、東芝レコードの石坂範一郎の説得により発売時には「SUKIYAKI」に訂正された。 同年5月3日にアメリカでレコードが発売されると、ビルボードのBillboard Hot 100で6月15日付から6月29日付まで3週連続、キャッシュボックスのTop 100で6月15日付から7月6日付まで4週連続1位のヒットとなった。ビルボードのR&Bチャートでは最高18位にランクインされている。Billboard Hot 100において、英語以外の歌では1958年のドメニコ・モドゥーニョ「ボラーレ」(イタリア語)以来2曲目の1位である。また、Billboard Hot 100では同年の年間チャート13位にもランクインしている。日本でも「全米1位」の影響を受け、シングルが新たにプレスされて『ミュージック・ライフ』の国内盤ランキングに再チャート入りを果たした。 当時、「SUKIYAKI」の全米1位は、日本においてリアルタイムで一般紙が報道した形跡は確認されていない。アメリカでも一般紙による報道は非常に少なく、例外的にロサンゼルスの日本語新聞『羅府新報』が1963年6月15日付にて報じた。『週刊朝日』の1963年6月21日号では、「世界第4位のレコード生産」という記事の導入部で「SUKIYAKI」が全米2位(当時)になったことを報じた。また、日本の東芝レコードの反応は「あまりの遠い国での出来事に実感がなかった」という。 なお、キャピトル側は最初、アメリカで英語以外の歌がヒットした前例がほとんど無いことから坂本九に英語で歌わせようとしたが、米軍時代に駐日経験のあるオズボーンは日本語で売り出した方が受けがいいと主張、日本語のオリジナルバージョンがそのまま発売された。 この大ヒットを受けて、同年8月に坂本九はキャピトル・レコードの招きで渡米、空港に到着した際3000人を超える坂本のファンが押し寄せた。「SUKIYAKI」の全米でのヒットが一般紙において本格的に報じられるのはこの頃からである。テレビ番組「スティーブ・アレン・ショー」にゲスト出演し(実は「エド・サリバン・ショー」からも出演依頼が来ていたが、スケジュールが合わず出演は果たせなかった)、さらにアメリカ国内の売り上げが上昇して100万枚を突破し、翌1964年5月15日には外国人としては初めての全米レコード協会のゴールドディスクを受賞した(当時は100万枚以上がゴールド)。この頃、アメリカ国内の音楽雑誌の記事には手書きの「鋤焼(すきやき)」が「鍬焼(くわやき)」となったりレコードジャケットの「坂本九」が「坂木九」となるなどの誤植が見られた。「鍬焼」に関しては、NHK「夢であいましょう」内でもヒットの話題を伝える黒柳徹子が触れていた。 このほか世界約70か国で発売され、総売り上げは1300万枚以上とされる。また、1988年にはアメリカのテレビやラジオでのオンエア回数が100万回以上の楽曲に贈られるBMIの「ミリオン・エアー」を受賞している。 2005年6月から「上を向いて歩こう」がイギリスの携帯ネットワーク会社スリー・モバイルのCMソングに起用され、問い合わせが殺到。同年8月29日にイギリスで坂本九のアルバム「メモリアル・ベスト」が発売された。9月には「上を向いて歩こう」をシングル発売。 アルゼンチンではスペイン語に訳されアルゼンチン・タンゴへと編曲され、1964年に「SUKIYAKI(Naranjos en Flor)」として、南米長期滞在中であった日本のタンゴ歌手・阿保郁夫が歌い、空前の大ヒットとなっている。
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