日本人とインドネシア独立戦争
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「インドネシア独立戦争」の記事における「日本人とインドネシア独立戦争」の解説
日本軍の敗北から1947年5月の全日本人引き揚げまでのあいだに、日本軍の死者は1078人を数え、この人数は日本軍の蘭印侵攻時の戦死255名、負傷702名を上回るものだった。この死者数は、武器・弾薬譲渡をめぐる独立派からの襲撃によるもの(陸輸総局勤務の婦女子を含む70名余りの無抵抗の日本兵が殺害された)や、連合国側の進駐軍が現地の治安確保のために日本軍部隊に出動を命じて戦闘になったこと、などによるものだった。一方で、独立派が武器を奪っていくのを、現地日本人が見てみぬふりをする形で、穏便に解決すると同時に、旧日本軍が独立派に事実上武器を譲渡するような例もあった。 また、日本の敗戦後、インドネシア側の武装勢力に身を投じて独立戦争に参加した日本人がいた。彼らが独立戦争に参加した動機はさまざまである。戦前・戦中、日本が大東亜共栄圏、東亜新秩序を打ち出していたことから、欧米からのインドネシア解放・独立の為にインドネシアの独立戦争に参加し、インドネシア人と「共に生き、共に死す」を誓いあった者や、日本に帰国したら戦犯として裁かれることを恐れたためにインドネシアに残留した者、また日本軍政期に各地で結成された郷土防衛義勇軍の教官としてインドネシア人青年の訓練にあたった者の中には、その教え子たちに請われて武装組織に参加した者もいる。 これらの「現地逃亡日本兵」の独立勢力への参加については、連合国側はきびしく禁じており、日本軍の現地指導部でも、在留日本人の引揚げに悪影響を与え、ひいては日本の国体護持や天皇の地位にまで悪影響を与えるとして、対応に苦慮した。インドネシアの独立達成後、1958年1月20日に日本とインドネシアの平和条約、賠償協定が締結され、1960年代に日本企業のインドネシア進出が本格化する頃、両国間の橋渡しの役割を果たしたのは、これらの元日本兵たちであった。 独立戦争で命を落とした元日本兵は、ジャカルタのカリバタ英雄墓地をはじめ、各地の英雄墓地に葬られ、戦後生き残った元日本兵も、インドネシア国籍を与えられたインドネシア人として、これらの墓地に埋葬される予定である。 1958年に訪日したスカルノ大統領は、日本へ感謝の意を表し、独立戦争で特に貢献した市来龍夫と吉住留五郎に対し感謝の言葉を送った。 市来龍夫君と吉住留五郎君へ。独立は一民族のものならず全人類のものなり。1958年8月15日東京にて。スカルノ その石碑が東京青松寺に建てられている。 1987年の訪日の際、アラムシャ第三副首相は、日本占領時に創設されたPETAでの人材育成に感謝し、連合軍に敗戦後もインドネシアに残留し独立戦争に参加した日本兵らについても語っている。 日本軍の軍政は良かった。…行政官の教育は徹底したものだった。原田熊吉ジャワ派遣軍司令官の熱烈な応援により、PETAが創設された。PETAは義勇軍と士官学校を合併したような機関で、38,000名の将校を養成した。兵補と警察隊も編成され、猛烈な訓練をしてくれたばかりでなく、インドネシア人が熱望する武器をすぐに供与してくれた。…(日本が連合軍に)無条件降伏した後も、多数の有志将校がインドネシアの独立戦争に参加してくれた。…経験豊かでしかも勇猛果敢な日本軍将兵の参加が、独立戦争を、我々に有利な方向に導いたか計り知れない。数百年来インドネシアに住む、数百万の中国人の大部分はオランダ側に加担して、インドネシア軍に銃を向けた。 — アラムシャ第三副首相、1987年 またスハルトは、1988年8月17日の独立記念日に、インドネシア独立に尽力した金子智一・稲嶺一郎の2名の日本人に国家最高の栄誉「ナラリア勲章(独立名誉勲章)」を授与している。それ以前には、1976年に前田精、その後に高杉晋一、清水斉、小笠公詔の4名が既に受章していた。 「インドネシアと日本軍政」についての研究は、1950年代から欧米諸国ではじめられ、日本軍政がインドネシア社会に大きな政治的インパクトを与え、現地のナショナリズムを刺激し、脱植民地化を加速させたとの評価が一般的となった。 ジョージ・S・カナヘレは著書『日本軍政とインドネシア独立』の中で、「日本軍政は、インドネシア語の公用化を徹底させたが、このことを通し、インドネシアは国民的自覚の連帯意識を強化せしめることができた」とし、以下のように分析している。 日本軍政は、オランダ時代には知らなかった広い地域の大衆をインドネシアという国家形態に組織した。…日本軍政は、ジャワ、バリ、スマトラに、現地人による常備軍(ペタ)を設けて訓練した。オランダ復帰に抵抗して闘ったこの革命軍将校と数万の兵士の組織と訓練、そして日本軍があたえた大量の兵器なしに、インドネシア革命はあり得なかった。 — ジョージ・S・カナヘレ『日本軍政とインドネシア独立』
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