日本人とインドネシア独立戦争とは? わかりやすく解説

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日本人とインドネシア独立戦争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 14:31 UTC 版)

インドネシア独立戦争」の記事における「日本人とインドネシア独立戦争」の解説

日本軍敗北から1947年5月全日本引き揚げまでのあいだに、日本軍死者は1078人を数えこの人数は日本軍蘭印侵攻時の戦死255名、負傷702名を上回るのだった。この死者数は、武器弾薬譲渡をめぐる独立派からの襲撃よるもの陸輸総局勤務婦女子を含む70余り無抵抗日本兵殺害された)や、連合国側進駐軍現地治安確保のために日本軍部隊出動命じて戦闘になったこと、などによるものだった。一方で独立派武器奪っていくのを、現地日本人見てみぬふりをする形で、穏便に解決する同時に旧日本軍独立派事実上武器譲渡するような例もあった。 また、日本の敗戦後インドネシア側の武装勢力身を投じて独立戦争参加した日本人がいた。彼らが独立戦争参加した動機はさまざまである戦前戦中日本大東亜共栄圏東亜新秩序打ち出していたことから、欧米からのインドネシア解放独立為にインドネシア独立戦争参加しインドネシア人と「共に生き、共に死す」を誓いあった者や、日本に帰国したら戦犯として裁かれることを恐れたためにインドネシア残留した者、また日本軍期に各地結成され郷土防衛義勇軍教官としてインドネシア人青年訓練あたった者の中には、その教え子たち請われ武装組織参加した者もいる。 これらの「現地逃亡日本兵」の独立勢力への参加については、連合国側きびしく禁じており、日本軍現地指導部でも、在留日本人引揚げ悪影響与えひいては日本国体護持天皇の地位にまで悪影響与えるとして、対応に苦慮したインドネシア独立達成後、1958年1月20日日本インドネシア平和条約賠償協定締結され1960年代日本企業インドネシア進出本格化する頃、両国間の橋渡し役割果たしたのは、これらの元日本兵たちであった独立戦争命を落とした元日本兵は、ジャカルタカリバタ英雄墓地をはじめ、各地英雄墓地葬られ戦後生き残った元日本兵も、インドネシア国籍与えられインドネシア人として、これらの墓地埋葬される予定である。 1958年訪日したスカルノ大統領は、日本感謝の意表し独立戦争で特に貢献した市来龍夫吉住五郎対し感謝言葉送った市来龍夫君と吉住五郎君へ。独立は一民族ものならず全人類のものなり1958年8月15日東京にて。スカルノ その石碑東京青松寺建てられている。 1987年訪日の際、アラムシャ第三副首相は、日本占領時に創設されPETAでの人材育成感謝し連合軍敗戦後インドネシア残留し独立戦争参加した日本兵らについても語っている。 日本軍軍政良かった。…行政官教育徹底したのだった原田熊吉ジャワ派遣軍司令官熱烈な応援により、PETA創設された。PETA義勇軍士官学校合併したような機関で、38,000名の将校養成した兵補警察隊も編成され猛烈な訓練をしてくれたばかりでなく、インドネシア人熱望する武器をすぐに供与してくれた。…(日本連合軍に)無条件降伏した後も、多数有志将校インドネシア独立戦争参加してくれた。…経験豊かでしかも勇猛果敢日本軍将兵参加が、独立戦争を、我々に有利な方向導いた計り知れない数百年来インドネシアに住む、数百中国人大部分オランダ側に加担してインドネシア軍に銃を向けた。 — アラムシャ第三副首相1987年 またスハルトは、1988年8月17日独立記念日に、インドネシア独立尽力した金子智一稲嶺一郎の2名の日本人国家最高の栄誉「ナラリア勲章独立名誉勲章)」を授与している。それ以前には、1976年前田精その後高杉晋一清水斉、小笠公詔の4名が既に受章していた。 「インドネシア日本軍政」についての研究は、1950年代から欧米諸国ではじめられ、日本軍政がインドネシア社会大きな政治的インパクト与え現地ナショナリズム刺激し脱植民地化加速させたとの評価一般的となったジョージ・S・カナヘレは著書日本軍政とインドネシア独立』の中で、「日本軍政は、インドネシア語公用化を徹底させたが、このことを通しインドネシア国民的自覚連帯意識強化せしめることができた」とし、以下のように分析している。 日本軍政は、オランダ時代には知らなかった広い地域大衆インドネシアという国家形態組織した。…日本軍政は、ジャワバリスマトラに、現地人による常備軍ペタ)を設けて訓練したオランダ復帰抵抗して闘ったこの革命軍将校数万兵士組織と訓練、そして日本軍あたえた大量兵器なしに、インドネシア革命はあり得なかった。 — ジョージ・S・カナヘレ『日本軍政とインドネシア独立

※この「日本人とインドネシア独立戦争」の解説は、「インドネシア独立戦争」の解説の一部です。
「日本人とインドネシア独立戦争」を含む「インドネシア独立戦争」の記事については、「インドネシア独立戦争」の概要を参照ください。

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