技術的課題の解決
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/06/14 16:13 UTC 版)
「オリエント・エクスプレス '88」の記事における「技術的課題の解決」の解説
ヨーロッパ内であれば、古い車両を国境を越えて運転する機会は多く、技術的・法的な問題はほとんどなかった。一方日本国外の車両を日本で運行するには、確認申請を運輸省(当時)に提出し、許可を受ける必要がある。しかし、島国である日本の法律は、そもそも国外から列車が走ってくることを想定していなかった ため、JR東日本では運輸省の許可を得るために1年以上も話し合いや指導を受けた。またイントラフルークでは車両の図面も満足に整備されておらず、JR東日本の技術者を困惑させた が、イントラフルークのルネ・ブーベンドルフ技術部長によれば、製造から60年近くたち、その間に戦争もあったため仕方のないことであるという。JR東日本では同年5月から6月にかけて、スイスへ現地調査団を送り、実際に車両の調査を開始した。 車両の規格 オリエント急行の客車は、車体の幅については幅2.9mでJRの車両よりも狭かった が、長さは23.5mと長い ため、日本での走行については曲線の通過時に車両限界を抵触する可能性がある。このため、建築限界測定用の車両を運行を予定している区間に走行させて確認した。その結果、支障箇所は約800箇所にも上り、そのうち約300箇所については線路の移設を行うことで対応させることになった。また、ヨーロッパではホーム高さが低いために出入台には昇降用のステップが設けられているが、日本国内では取り外すことになった ほか、各種装備品についても移設や交換を行うことになった が、荷物車の監視用の窓の小さなドームについては、オリエント急行のデザインに役立っていると考えられた ことから、日本の規格に収まる大きさの監視窓を製作して取り付けることになった。 軌間 ヨーロッパと中国では、軌間(レールとレールの間の幅)は国際的な標準軌間である1,435mmである のに対し、日本の国内では狭軌の1,067mmであり、途中通過するソ連では逆に1,524mmの広軌である。これに対して、ソ連を通過するために必要な広軌用の台車は30個を準備することになり、日本国内では旧型客車に使用していたTR47形台車を改造して22個用意した。日本での台車の準備はJR東日本大宮工場が担当し、台車の交換は協賛企業の日立製作所が担当することになった。なお、オリエント急行の客車は日本の客車よりも1両あたり約10t重いため、台車の軸ばねと枕ばねを交換し、強度試験が行われた。 連結器 オリエント急行の連結器はヨーロッパでの標準であるねじ式連結器である が、ソ連・中国・日本では自動連結器が使用されている ため、その国での客車の片側をねじ式連結器に変更した車両を用意し、控車として機関車との間に連結することにした。日本国内の控車については巻末の車両一覧を参照。 防火 日本の普通鉄道構造規則では、当時は内装に木材を使用することは火災対策上認めておらず、暖房や調理用に石炭を焚くことも禁止されていた。しかし、オリエント急行は内装に木材を多用している ばかりでなく、食堂車では石炭レンジが使用され、各車両の暖房は小型の石炭焚きボイラーを使用していた。これでは日本の防火基準には全く合わない。これに対して、各車両に放送装置と火災報知器を設置し、防火専任の保安要員を乗務させるという条件で特認を受けることになった。 照明用電源 オリエント急行では、各車両の台車に車軸発電機を設けることで照明用の電源を確保していたが、台車を交換することによって発電機の位置が合わず使用できなくなる。このため、荷物車両にディーゼルエンジン駆動の発電機を搭載し、各車両へ供給することになった。プルマン車とバー車は直流24V、食堂車は直流48V、寝台車は直流72V と、使用電圧はまちまちであり、荷物車からは380V三相交流を供給し、各車両に整流器を設置した。 ブレーキ 列車の運行において最も重要であるブレーキについては、通過する各国とも自動空気ブレーキで統一されており、しかもブレーキ圧力も全ての国で揃っていた。このため、ブレーキに関しては空気指令の読み替えなどを行う必要は全くなく、ブレーキ管の接続部分の種類と位置を合わせるだけで対応できることになった。 その他 シベリアを横断するという長距離運行に対応させるべく、荷物車については冷凍冷蔵庫の増強と厨房用水タンクの容量増大が施工された。 車両の改造を担当する日立製作所では、JR東日本とともに設計検討を行ったが、図面だけでは分からない部分が多かった。このため、検証のために笠戸事業所へ車両1両を先に送ってもらい、イントラフルークとJR東日本の立会いの下で、1988年8月4日から実際の車両を使用して作業項目の把握と技術的な見通しの検証を行った。 一方、ソ連を通過するために必要な広軌用の台車については製作が間に合わず、当初は9月2日に予定していたパリの出発日を9月7日に変更せざるを得なくなった。ソ連用広軌台車はオリエント・エクスプレス'88での使用後もイントラフルーク社で保管されていた。
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