打線の性格
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基本的には、2005年に監督を務めた仰木彬の「猫の目打線」の流れを引き継いでいるが、清原・中村紀洋・外国人選手のカリーム・ガルシア、クリフ・ブランボーらを中心にして、北川博敏・谷佳知や塩崎真・村松有人による固定オーダーを組み、さらに水口栄二・後藤光尊・阿部真宏・日高剛・的山哲也などが脇を固めるという構想であった。 清原・中村紀の2人で2005年までに821本塁打を記録していること、谷、北川にガルシア、ブランボーと前年それなりに数字を残した外国人2人を擁していたことから、マスコミには長打力をかなり期待されており、中村勝広はシーズン前に「かつての巨人のようなチームが2つ出来た」と形容、自信を見せていた。実際には個々が全盛時の実力を発揮したとしても、2004年に本塁打王経験者を4人抱え(小久保裕紀、ロベルト・ペタジーニ、タフィ・ローズ、江藤智)「史上最強打線」と長嶋茂雄が形容した巨人打線に対し、「ミックスモダン打線」の本塁打王経験者は中村紀のみである。しかし谷と村松の複数が盗塁王のタイトルを獲得した経験を持ち、清原は最高出塁率を過去に獲得。また谷も無冠に終わってはいるが右打者で3割5分をマークした経験を持ち、北川や村松、塩崎も好打者である。水口・阿部などのバントが得意な選手も多かった。ツボにはまった時の爆発力はあるが、小技(犠打や盗塁)などは不得手な選手が多かった典型的な「ビッグボール」向けの布陣だった1990年代後半以降の読売ジャイアンツの打線のようなイメージで語られるが、その実態は清原が黄金期に4番打者として君臨した1990年前後の西武ライオンズのような繊細な打線であった。
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打線の性格
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金本政権では、誕生当初から、「積極的な走塁意識」や「強く振る意識」が選手に徹底され、原則として実績やプロ入り年数に関係なく、この2つの意識を体現できることが選手起用において重視する方針が打ち出されていた。金本監督の当初の構想は、鳥谷、福留、ゴメスの3選手を「軸」として、そこに中堅及び若手選手を積極的に組み込むことで活性化を図ることであった。 シーズン開幕戦では、「軸」と明言されていた先述の3選手、及び、新外国人のヘイグ(三塁手)、実績のある西岡剛(二塁手)の「実績組」の5人に加えて、オープン戦で結果を出した高山(左翼手)、横田慎太郎(中堅手。高卒3年目。それまでは一軍経験ゼロ)、岡﨑太一(捕手。高卒社会人から12年目だが、それまでの一軍通算出場試合数は41にとどまっていた)の3人を抜擢することでスタメンを編成。 シーズンを通して複数の若手選手が積極的に起用されたが、特に、 高山俊(この年のドラフト1位。主に左翼手。シーズンを通してほぼ継続的にレギュラーとして起用。8月20日の対巨人戦以後は「3番・左翼手」にほぼ固定されて、最終的に規定打席に到達。「打率.275、8本塁打、65打点、5盗塁」の成績を残して、新人王に輝いた) 原口文仁(高卒7年目。主に捕手。故障癖に苦しんだこともあり、2013年シーズンから育成選手契約であったが、4月27日に支配下選手登録がなされて、その日のうちに一軍登録。4月29日の巨人戦からスタメンとしてコンスタントに起用されて、5月22日の対広島戦以後は「5番・捕手」として多く起用されて、最終的に規定打席にわずかに届かなかったものの、「打率.299。11本塁打、46打点」の成績を残した) 北條史也(高卒4年目。主に遊撃手。シーズン序盤は代打要員からのスタートだったが、5月22日の対広島戦から、二塁手あるいは三塁手として継続的にスタメンで起用。8月12日の対中日戦以後は「1番・遊撃手」にほぼ固定されて、最終的に規定打席にわずかに届かなかったものの、「打率.267、2本塁打、26打点、5盗塁」の成績を残した) この3選手は特に積極的に起用されて、一定以上の個人成績を残したほか、中谷将大(高卒6年目)もシーズン終盤に中堅手のレギュラーとしてほぼ継続的に起用された。その意味で、「超変革打線」の目指す方向性としては一定の成果は挙げたといえるが、一方で、打順を頻繁に入れ替える、いわゆる「日替わり打線」(または「猫の目打線」)の傾向が強かった。 レギュラーシーズンを通して組んだスタメンの打順は「126通り」に達した(この年のシーズンは143試合)。 このうち、「1試合のみの打順」は「117通り」に達した。 開幕13試合目の4月8日から7月24日まで81試合連続で新しい打順の組み合わせが続いた。以降も同じ並びが2試合以上続いたのは3回のみだった。 ほぼ「固定スタメン」を組めた試合は、開幕戦からの12試合のみにとどまった。 いわゆる「クリーンナップ」で出場した選手は、前年の8人から19人へと大幅に増加した(つまり、ほぼ固定できなかった)。 規定打席に到達できた選手は、ゴメス、鳥谷、高山、福留の4人のみにとどまった。このうち、シーズンを通して「絶対的なレギュラー」であり続けたのは福留1人のみだった。 チームの打撃成績のほとんどの指標で、最下位または5位にとどまった。 このように、「日替わり打線」といっても、相手投手や自チーム選手の調子等に応じて意識的に(戦略的に)そのような打線を編成していた、かつてのオリックス(仰木彬監督時代)やロッテ(ボビー・バレンタイン監督時代。いわゆる「マリンガン打線」)とは異なり、「『複数の若手野手に対して、コンスタントに出場機会(あるいは打席数)を与える必要があった』ために、『日替わり打線』にせざるを得なかった」のが実状であった。また、チームのスローガンをそのまま打線の愛称にしようとした意味では、「No Limit打線」(2008年、西武)と相通ずるが、「No Limit打線」は4年ぶりの日本一達成の大きな原動力になった一方で、「超変革打線」は(少なくとも、チーム成績という意味では)先述のように、充分な結果を残したとは言い難く、少なからず異なることが否めなかった。 いわば「超変革打線」は、「(事実上の)『再建モード』に突入せざるを得なかったチーム事情により、若手起用(世代交代)が急務となったことにより生まれた打線」といえる訳であり、いわゆる「強力打線」の概念に照らせば「異色の打線」であったことが、打線の基本的な性格であったといえる。
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