打線誕生の背景
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/20 17:46 UTC 版)
先述のように、2015年10月の金本政権の誕生により、「超変革打線」は誕生したが、前任の和田政権(2012年~2015年)は、2014年のクライマックスシリーズにおいて、読売ジャイアンツ相手に、4勝1敗で下して日本シリーズ進出を果たすなど、チーム成績の面では一定の結果は残しており、2015年シーズンも3位(Aクラス)であった。 しかし、2015年シーズンにおける打撃陣は、 レギュラーメンバーにおいて、「若手」と純粋に呼べる選手は江越大賀(中堅手。当時は大卒1年目)1人のみ。 レギュラーを固定できたポジションは、一塁手(マウロ・ゴメス)、遊撃手(鳥谷敬)、左翼手(マット・マートン)、右翼手(福留孝介)の4ポジションにとどまった。 上記の「絶対的レギュラー」は、いわゆるベテランまたは外国人選手に集中していた。 このように、打撃陣は不安要素がいくつも並ぶ状況になっており、いわゆる「世代交代」が急務の状況になっていたことから、「超変革打線」が誕生することとなった。なお、2016年シーズンを迎えるにあたってのシーズンオフにおける、打撃陣に関係する主だった動きは、マートンとの契約更新を見送り、新外国人としてマット・ヘイグ(主に三塁手としての起用を想定していた)を獲得したのみで、選手の入れ替えをほとんど行わず、若手選手の育成(底上げ)を鮮明にする方向性を強く滲ませていた。
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