憲法制定と大統領選挙とは? わかりやすく解説

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憲法制定と大統領選挙

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/17 05:56 UTC 版)

フランス第二共和政」の記事における「憲法制定と大統領選挙」の解説

この間憲法制定議会は、1)労働権、2)一院制、3)大統領選挙方法、4)大統領選挙期日めぐって討議展開した革命初期には熱烈に支持され労働権は「夢想家感傷」だとか「職を持たない労働者40スー(2フラン)の日当をやるための結構な発明品だ」とか揶揄された。結局労働産業の自由」が明記されることとなり、労働権憲法から削除されることになった続いて一院制に関してバロー下院独走を防ぐために第二院設置することを求めたが、同時に執行府独裁阻止するために強力な一院制設置することが決定議会に対して参事院設置され立法審査のためのチェック機構となることが決した大統領については独裁者登場危惧され国民投票ではなく議会による指名という方式検討された。しかし、ラマルティーヌ大統領選復権機会願っており、「いくらかは神の意志残されるべきだ」と訴えて国民投票強く支持した大統領国民投票によって直接選出することが決定され大統領選挙12月10日実施することが定められた。 議会憲法草案完成させ、11月4日議会賛成796票・反対30票で採択され12日公布されることになった。このとき、戒厳令下での憲法制定違法であるとして極右極左が共に反対票を投じた極左代表者であったプルードンピエール・ルルー労働権削除反対して抗議した11月4日憲法採択され第二共和政政体決められた。アメリカ合衆国の政治形態モデルとなっており、議会立法府)と大統領行政府)は対等の関係であり、大統領国民議会から独立して首相閣僚任免する権限を持つが、代わりに議会解散権は有さなかった。そのため大統領議会対立した場合には行政立法間の捻じれの解消は困難であった大統領国会議員ともに成人男子による直接選挙選出されるが、大統領選挙有効投票数過半数かつ最低200票の得票が必要とされ、条件満たした候補がいない場合には上位者5名の中から国民議会決めるという制度になっていた。また、大統領の任期4年であり、連続再選はできなかった。憲法からは長期政権維持して政治持続的なかじ取り不可能な規定になっていた。こうした矛盾が後に致命的な落とし穴となっていく。 11月12日カヴェニャック憲法制定祝してコンコルド広場祭典催したが、当日早くも降りしきり、軍と政府高官ならびに司祭列席があったものの一般民衆はこれに参加しなかった。祭典軍と宗教によって財産家秩序勝利したという点を強調するものとなった民衆祭典参加しなかったのは天候だけが理由ではない。民衆王政に対して立ち上がったものの、その後革命成果恩恵十分に浴することができなかった。最大理由政府による弾圧を受けるに至った六月蜂起の傷が癒えていなかったためである。このような国民感情悪化大統領選挙影響及ぼした第二共和国憲法に従って大統領選挙12月10日行われることとなった1848年フランス大統領選挙フランス語版)にはカヴェニャック将軍ラマルティーヌ、ルドリュ=ロランフランス語版)、ラスパーユ(フランス語版)、シャンガルニエ(フランス語版将軍、そしてルイ・ナポレオン出馬した大統領選有権者となって久しい全国各地民衆票を獲得することに主眼置かれ政策論争ではなく候補者間の中傷合戦終始していった。 その結果ルイ・ナポレオンナポレオン1世の甥という出自生かして各層幅広い支持を得、543票(得票率74.2%)を獲得して圧勝した二位カヴェニャック144票(得票率19.8%)を獲得三位ルドリュ=ロラン37票(得票率5%)、四位ラスパーユが36千票(得票率0.5%)、5位ラマルティーヌ1万7千票(得票率0.2%)6位シャンガルニエが4700票(得票率0.06%)という結果であったカヴェニャックは大ブルジョワと主要メディア支持獲得し議会共和派全面的な信任受けて立候補したが、共和派結集することができず惨敗したまた、共和派指導者ルドリュ=ロランラマルティーヌは共に二月革命その後第二共和政立役者であった両者新憲法支持して曖昧な態度を採ったため決断力指導力欠けると見られまた、カヴェニャックと同様「6月蜂起」での労働者への弾圧対す嫌悪感から投票忌避され、労働者の票は5月15日議会乱入事件英語版)で逮捕され獄中立候補していたラスパーユに流出した共和派候補者絞り込みもできず票が分散して民衆の支持得られ敗北したのである一方ルイ・ナポレオン秩序宗教家族財産擁護前面出し戦争帝政復活へ警戒感和らげながら選挙戦戦い共和派躍進革命続行警戒する保守派地方農民層の支持得たまた、ロシアなどの反動国家主要な銀行から資金援助受けて豊富な選挙資金確保しシャンソンつくったビラをまいたり口コミ生かした地道な広報戦略駆使した。彼はラマルティーヌのような優柔不断なイメージカヴェニャックのような弾圧者のイメージもなく、ナポレオンの名を利用して人々期待感を煽って多く民衆の支持得た瞬く間泡沫候補者から有力候補者へと駆け上がり大統領選当選者になったのである

※この「憲法制定と大統領選挙」の解説は、「フランス第二共和政」の解説の一部です。
「憲法制定と大統領選挙」を含む「フランス第二共和政」の記事については、「フランス第二共和政」の概要を参照ください。

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