憲法制定会議の動き
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 00:06 UTC 版)
「アメリカ合衆国憲法」の記事における「憲法制定会議の動き」の解説
憲法制定会議では、中央集権的で強力な連邦政府の樹立を推す連邦派(Federalist、後の連邦党)と、これに反対する反連邦派(Anti-federalist、後に民主共和党)との対立や、農業を中心産業とする南部と、商工業を中心とする北部の対立、大きな邦と小さな邦との間の対立など、数多くの対立を抱えていた。 バージニア案(英語版)が会議のための非公式な叩き台であった。これは主にジェームズ・マディソンが起草しており、このために彼は「アメリカ合衆国憲法の父」と見なされている。このプランによるとそれまでよりも大きな州の利益に重点が置かれており、次のような提案が盛り込まれていた。 強力な両院制議会、下院と上院で構成 議会によって選ばれる政府の執行役 終身任期があり、あいまいな権限を持つ裁判官 国の議会は州法に対して拒否権を行使できる ウィリアム・パターソンがニュージャージー案(英語版)と呼ばれる代案をしめし、これでは各邦に平等な採決のための権限を与え、小さな政府を提案していた。コネチカット邦のロジャー・シャーマンが「大妥協案」で調停し、下院は人口に比例した代議員数とし、上院は各邦を代表する、すなわち各邦から同数の代議員が出席し、また強力な大統領が特権的選挙人によって選ばれるという案を示した。奴隷制については明確に言及されているわけではないが、奴隷人口の5分の3を下院議員の割り当ての際に各邦人口に加算されることとし、逃亡奴隷は元の所に戻さなければならないとしていた。
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