憲法典公布
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1889年(明治22年)2月11日、大日本帝国憲法(明治憲法)公布。 現行憲法との比較の視点からは、見せかけの立憲主義であり保守的法典と評されるが、天皇すらも議会の「翼賛」(advise)ではなく「協賛」(consent、同意)によってのみ立法権を行使しうるとしたことなど(大日本帝国憲法第5条)、植木枝盛ら民権派にとっても「意外の良憲法」であり、むしろ当時世界最先端の画期的進歩的法典だったとも評される。前者のような理解を採るときは憲法成立は自由民権運動の敗北となり、後者では一応の勝利になる。 民権運動の本質を、天皇絶対主義への抵抗であり、挫折したブルジョワ革命運動とみるか(講座派)、国民国家確立を求める運動であり、困民党の運動などとは本来別次元とみるか(安丸良夫)の問題でもあり、福澤諭吉の法典延期論の理解にも大きく関係する(後述)。
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