徳川吉宗への献身
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徳川吉宗は1716年、将軍に任じられる。英生は吉宗三男の源三の名を憚り(と本人は商館長に説明している)、1719年に俗称を「源右衛門」から「市兵衛」と改めた。実学・洋学に強い関心を示す吉宗は西洋の文物を輸入させるが、その目的から1721年、御用方通詞が新設さる。1724年江戸番通詞の英生は商館長一行の江戸参府の折、3月23日城中で幕府医官と上外科ケーテラール(Willem Ketelaer)との質疑応答を通訳するが、そこに吉宗もお忍びで参加する。25日には奥坊主・水谷甫閑(? - 1726)らが吉宗自ら捕えた白鳥をみやげに商館長一行の宿舎長崎屋を訪れ、それを食材とした西洋料理を賄わせ、同時に甫閑を介し吉宗からの質疑応答が英生の通訳で行われた。英生の解説も含むその時の報告書が小冊子『和蘭問答』として残されており、そこには「麦の酒」「ヒイル」なる語が表記されており、日本で初めて表記されたビールを指すと考えられている。 1725年、英生は前任者の跡を継ぎ御用方通詞を兼務。この年来航のオランダ船には吉宗が1723年に発注したペルシャ馬など5頭が積まれており、その世話のため調馬師ケイゼル(Hans Juergen KeyserまたはKeyserling)が来日した。これは吉宗の軍馬改良政策の一環で、日本で馬体の大きな強い馬を繁殖させるのが目的であった。その後、洋馬の輸入は1737年まで続き合計28頭にも及ぶ。英生は出島の馬場の設定、来日調馬師と出島に派遣された幕府の飼育責任者との間の馬術習得、馬療法や飼育法の質疑応答などに通訳として携わった。1728年、58歳で英生は通詞目付に就任する。 1729年、彼は再来日したケイゼルに付き添い江戸に赴き御浜御殿(現在の浜離宮恩賜庭園)で馬場や厩舎の設営に通訳として関与した。翌年4月17日、朝鮮馬場にてケイゼルの馬術が吉宗の御前で披露され、英生は通訳の功により金10両を拝領した。 吉宗の関心は洋馬のみに止まらず天文・暦法、法律、医学、薬学、武器、地勢、動植物、雑学などあらゆる方面にわたり、各種の御下問や発注が長崎奉行所を通じもたらされ、それに対処するのが御用方通詞・英生の役目でもあった。例えば吉宗は薬種植物の苗や種子を輸入国産化を図る。1727年の発注の中にサフランなど植物の苗木38種、ケシなど種子類31種がある。そのすべてをオランダ語もしくはラテン語に翻訳するのも仕事であった。実際に注文に応じ翌年輸入されたのはコショウなど苗木7種、ケシ・パセリなど種子16種に過ぎず、それらは小石川薬草園などに移植されたが、繁殖には至らなかった。その結果、発注はその後1735年まで執拗に繰り返される。天文や測量に関する御下問にも英生が対応していることが『測量秘言』の記述から窺える。 しかしこれらの業務は本業であるオランダ通詞としての役目の合間に行われたことであり、商館日誌の記述からも英生は商館から最も信頼され高く評価されていた通詞の一人であったことが分かる。 英生は前述の1729年から30年にかけての江戸滞在中に欽命により、1725年渡来したピーテル・アルマヌス・ファン・クール(Pieter Almanus van Coer)著の『Toevlugt of heylsame Remedien voor alderhande Siektens en Accidenten die de Paerden soude konnen overkoomen (馬に多発する疫病および障害の予防または治療)』いわゆる「馬療書」の翻訳を行った。それまでの調馬師との質疑応答やこの翻訳などを編集し集大成したのが今村市兵衛の名による著書『西説伯楽必携』(1730年頃)である。構成は「長崎奉行トノ問答」「馬相形」「轡沓」「厩並飼料」「乗方」「薬方」「馬疾療法」から成り、最後の項の原典が前述ファン・クール著書である。原書と翻訳を比較分析した獣医学者・濱學は論文の中で、Zenuw(神経)にたいし、その機能を理解し、今日でいう自律神経系乃至は運動・知覚神経系にも該当する漢方でいう「『気』の筋」を訳語に当てた、とその的確な翻訳を評価し、さらに薬材に関し「300余種の掲載薬材中、50を遥かに超える薬材を解明し和漢名に翻訳している (中略) 短期間にこの書を完訳した能力に只々感嘆を通り越して畏怖の念さえ覚える」と称賛している。 英生は1736年、健康上の理由から通詞目付を辞するが、御用方通詞現役のまま9月22日(元文元年8月18日)没し、菩提寺である浄土宗の正覚山大音寺に葬られた。享年66。戒名は「知新院寛誉舊古居士」と称す。 1924年(大正13年)2月11日、生前の功により正五位が贈位された。
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