御成敗式目
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承久の乱以降、新たに任命された地頭の行動や収入を巡って各地で盛んに紛争が起きており、また集団指導体制を行うにあたり抽象的指導理念が必要となった。紛争解決のためには頼朝時代の「先例」を基準としたが、先例にも限りがあり、また多くが以前とは条件が変化していた。泰時は京都の法律家に依頼して律令などの貴族の法の要点を書き出してもらい、毎朝熱心に勉強した。泰時は「道理」(武士社会の健全な常識)を基準とし、先例を取り入れながらより統一的な武士社会の基本となる「法典」の必要性を考えるようになり、評定衆の意見も同様であった。 泰時を中心とした評定衆たちが案を練って編集を進め、貞永元年(1232年)8月、全51ヶ条からなる幕府の新しい基本法典が完成した。はじめはただ「式条」や「式目」と呼ばれ、後に裁判の基準としての意味で「御成敗式目」、あるいは元号をとって「貞永式目」と呼ばれるようになる。完成に当たって泰時は六波羅探題として京都にあった弟の重時に送った2通の手紙の中で、式目の目的について次のように書いている。 多くの裁判事件で同じような訴えでも強い者が勝ち、弱い者が負ける不公平を無くし、身分の高下にかかわらず、えこひいき無く公正な裁判をする基準として作ったのがこの式目である。京都辺りでは『ものも知らぬあずまえびすどもが何を言うか』と笑う人があるかも知れないし、またその規準としてはすでに立派な律令があるではないかと反問されるかもしれない。しかし、田舎では律令の法に通じている者など万人に一人もいないのが実情である。こんな状態なのに律令の規定を適用して処罰したりするのは、まるで獣を罠にかけるようなものだ。この『式目』は漢字も知らぬこうした地方武士のために作られた法律であり、従者は主人に忠を尽くし、子は親に孝をつくすように、人の心の正直を尊び、曲がったのを捨てて、土民が安心して暮らせるように、というごく平凡な『道理』に基づいたものなのだ。 『御成敗式目』は日本における最初の武家法典である。それ以前の律令が中国法、明治以降現代までの各種法律法令が欧米法の法学を基礎として制定された継受法であるのに対し、式目はもっぱら日本社会の慣習や倫理観に則って独自に創設された固有法という点で日本法制史上特殊な地位を占める。
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御成敗式目
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/19 03:53 UTC 版)
年紀法を明文化した最初の条文として知られているのは、『御成敗式目』第8条(「雖帯御下文不令知行、経年序所領事」)にある「当知行之後、過二十箇年者、任右大将家之例、不論理非、不能改替。而申知行之由、掠給御下文之輩、雖帯彼状不及叙用(当知行の後、二十箇年を過ぐれば、右大将家の例に任せて理非を論せずに改替にあたわず。しかるに知行の由を申して御下文を掠め給わるの輩、かの状を帯ぶるといえども叙用に及ばず)」というものである。これは、鎌倉幕府から新恩あるいは本領安堵の御下文(安堵状)を得ている所領であっても、現実に知行しないまま年数を経たものについては、20年経過した場合には右大将家の例(源頼朝の家中の先例)に従って権利の正当性についての理非を問わずに現状を変更しない。ただし、知行をしていると偽って御下文を得たものがそれを根拠として権利を主張したとしても、その訴えは取り上げないという趣旨である。 ところが、この条文を巡ってはいくつか問題がある。土地の取得時効を定めた条文とする解釈が通説であるが、知行の権限を行使しなかった行為――いわゆる「不知行」による消滅時効を定めた条文とする異説もある。更にこの条文が実際に源頼朝の時代に行われていた法理を根拠とするものなのか、はたまた頼朝以前からの慣習法が頼朝の時代以後も行われたものなのか、更には頼朝以後に成立した又は御成敗式目で初めて採用した法理を頼朝によって定められた法理として仮託させたものなのかについては意見が分かれている。『御成敗式目』第8条は単なる「多年領掌」「経年序」という漠然とした法理から「廿箇年知行」という一定の年紀(20年)を導入したという点で画期的であり、特に承久の乱後に急増するようになった御家人間の紛争に対する有効な手段であったと考えられている。ただし、この規定は鎌倉幕府が管轄する武家領における訴訟では有効であったが、寺社領や公家領に関する訴訟では直ちに適用されなかった。これについては、公家領や寺社領に関する訴訟を扱ってきた公家社会が年紀法自体に否定的な姿勢を示していたとする考え方もあるものの、御成敗式目第8条自体が単に武家社会における年紀法に関する考え方を示したに過ぎず、当時の公家社会において年紀法が採用されていたかどうかとは別次元の問題である。 なお、武家社会においても地頭の所務に関しては年紀法は適用されないものとされていた。これは地頭が長期に渡って荘園領主への年貢の納入を怠って最終的に年紀を理由に自己のものとする押領行為を防ぐ措置で、宝治元年(1247年)に追加されたものであった。
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