御成敗式目とは? わかりやすく解説

御成敗式目

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 02:08 UTC 版)

北条泰時」の記事における「御成敗式目」の解説

承久の乱以降新たに任命され地頭行動収入巡って各地盛んに紛争起きており、また集団指導体制を行うにあたり抽象的指導理念が必要となった紛争解決のためには頼朝時代の「先例」を基準としたが、先例にも限りがあり、また多く以前とは条件変化していた。泰時京都法律家依頼して律令などの貴族の法の要点書き出してもらい、毎朝熱心に勉強した泰時は「道理」(武士社会健全な常識)を基準とし、先例取り入れながらより統一的な武士社会基本となる「法典」の必要性考えるようになり、評定衆意見も同様であった泰時中心とした評定衆たちが案を練って編集進め貞永元年1232年8月、全51ヶ条からなる幕府新し基本法典が完成した。はじめはただ「式条」や「式目」と呼ばれ、後に裁判基準としての意味で「御成敗式目」、あるいは元号をとって「貞永式目」と呼ばれるうになる完成当たって泰時六波羅探題として京都にあった弟の重時に送った2通の手紙の中で、式目目的について次のように書いている。 多く裁判事件同じよう訴えでも強い者が勝ち、弱い者が負ける不公平を無くし身分高下かかわらずえこひいき無く公正な裁判をする基準として作ったのがこの式目である。京都辺りでは『ものも知らぬあずまえびすどもが何を言うか』と笑う人があるかも知れないし、またその規準としてはすでに立派な律令があるではないか反問されるかもしれない。しかし、田舎では律令の法に通じている者など万人一人もいないのが実情である。こんな状態なのに律令規定適用して処罰したりするのは、まるで罠にかけるようなものだ。この『式目』は漢字知らぬこうした地方武士のために作られ法律であり、従者主人に忠を尽くし、子は親に孝をつくすように、人の心の正直を尊び曲がったのを捨てて土民安心して暮らせるように、というごく平凡な道理』に基づいたものなのだ。 『御成敗式目』は日本における最初武家法典である。それ以前律令中国法明治以降現代まで各種法律法令欧米法の法学基礎として制定され継受法であるのに対し式目もっぱら日本社会慣習倫理観則って独自に創設され固有法という点で日本法制史特殊な地位占める。

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御成敗式目

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/19 03:53 UTC 版)

年紀法」の記事における「御成敗式目」の解説

年紀法明文化した最初条文として知られているのは、『御成敗式目』第8条(「雖帯御下文不令知行経年所領事」)にある「当知行之後、過二十箇年者、任右大将家之例、不論理非、不能改替。而申知行之由、掠給御下文之輩、雖帯彼状不及叙用当知行の後、二十箇年過ぐれば右大将家の例に任せて理非を論せずに改替あたわずしかるに知行の由を申して御下文掠め給わるの輩、かの状を帯ぶといえども叙用及ばず)」というものである。これは、鎌倉幕府から新恩あるいは本領安堵御下文安堵状)を得ている所領であっても現実知行しないまま年数経たものについては、20年経過した場合には右大将家の例(源頼朝家中先例に従って権利正当性について理非問わず現状変更しない。ただし、知行をしていると偽って御下文得たものがそれを根拠として権利主張したとしても、その訴え取り上げないという趣旨である。 ところが、この条文巡ってはいくつ問題がある。土地の取得時効定めた条文とする解釈通説であるが、知行権限行使しなかった行為――いわゆる不知行」による消滅時効定めた条文とする異説もある。更にこの条文実際に源頼朝時代行われていた法理根拠とするものなのか、はたまた頼朝以前からの慣習法頼朝時代以後行われたものなのか、更には頼朝以後成立した又は御成敗式目で初め採用した法理頼朝によって定められ法理として仮託させたものなのかについては意見分かれている。『御成敗式目』第8条単なる多年領掌」「経年序」という漠然とした法理から「廿箇年知行」という一定の年紀20年)を導入したという点で画期的であり、特に承久の乱後に急増するようになった御家人間の紛争対す有効な手段であった考えられている。ただし、この規定鎌倉幕府管轄する武家領における訴訟では有効であったが、寺社領公家領に関する訴訟では直ち適用されなかった。これについては、公家領寺社領に関する訴訟扱ってきた公家社会年紀法自体否定的な姿勢示してたとする考え方もあるものの、御成敗式目第8条自体が単に武家社会における年紀法に関する考え方示した過ぎず当時公家社会において年紀法採用されていたかどうかとは別次元問題である。 なお、武家社会においても地頭所務に関して年紀法適用されないものとされていた。これは地頭長期渡って荘園領主への年貢納入怠って最終的に年紀理由自己のものとする押領行為を防ぐ措置で、宝治元年1247年)に追加されたものであった

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