山岡万之助とは? わかりやすく解説

山岡萬之助

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/24 02:55 UTC 版)

山岡 萬之助
やまおか まんのすけ
山岡萬之助の肖像
生年月日 明治9年(1876年4月12日
出生地 日本長野県諏訪郡湊村(現在の岡谷市湊)
没年月日 昭和43年 (1968-06-22) 1968年6月22日(92歳没)
死没地 日本 東京都
出身校 日本法律学校(後の日本大学)卒業
前職 判事検事日本大学教授司法省参事官、日本大学第3代総長
称号 ライプツィヒ大学からドクトル・ユリス(法学博士)明治36年1903年
日本大学より法学博士 大正8年1919年
勲一等瑞宝章 昭和9年1934年
従三位を死去追贈
選挙区 勅選議員
在任期間 1929年2月19日[1] - 1946年2月13日[2]
テンプレートを表示

山岡 萬之助(やまおか まんのすけ、明治9年〈1876年4月12日 - 昭和43年〈1968年6月22日)は、日本司法内務官僚法学者哲学者ライプツィヒ大学法学博士日本大学法学博士。日本大学第3代総長・初代総裁。貴族院議員

経歴

明治9年(1876年)4月12日、長野県諏訪郡湊村(現在の岡谷市)の農家(中農)小坂鶴吉の二男に生まれる。生後すぐ母方の山岡家に籍だけ入った。湊村尋常高等小学校を卒業後、農業の手伝いや製糸工場で働くかたわら、小学校時代の先生に漢学の教えを受けた[3]

明治29年(1896年)に上京し、東京簿記専修学校に入学[4]。翌明治30年(1897年)、日本法律学校(後の日本大学)入学。

明治32年(1899年)、日本法律学校卒業。第1回判事検事登用試験合格、司法官試補となり浦和地方裁判所熊谷支部検事局に勤務。明治34年(1901年)第2回判検事登用試験に首席で合格[5]。当時の官報は合格者のトップに「長野県平民、山岡萬之助」と記している。東京区裁判所判事となる。

明治39年(1906年)、東京地方裁判所判事。日本大学最初の留学生としてドイツに留学する[6]ミュンヘン大学ライプツィヒ大学ベルリン大学で学ぶ。明治42年(1909年)にライプツィヒ大学からドクトル・ユリス(法学博士)の学位を受領し、帰国。

明治43年(1910年)、東京地方裁判所検事東京控訴院検事。さらに日本大学教授(刑事政策学・刑法担当)に就任する。大正2年(1913年)に日本大学学監、大正3年(1914年)には司法省参事官にそれぞれ就任。

日本大学では大正5年(1916年)に理事に就任し、翌大正6年(1917年)宗教科を設置。大正8年(1919年)には日本大学より、母校出身者として初めて法学博士号を受ける[7]。大正12年(1923年)11月、学長に就任[8]昭和8年(1933年)3月、日本大学第四中学校(現・日本大学中学校・高等学校)校長に就任(昭和15年(1940年)退任)、同年10月に日本大学第3代総長となり、昭和12年(1937年)2月には日本大学初代総裁も兼ねた[9]

一方官吏としても、大正9年(1920年)に司法省大臣官房保護課長、大正10年 (1921年)に司法省審査委員、同省監獄局長(後の行刑局長)となり、大正14年(1925年)には小川平吉司法大臣の下で治安維持法の原案作成にあたった。昭和2年(1927年)には内務省警保局長となり、三・一五事件で検挙の元締めをつとめるなど、赤狩りの権威と評された[10]。昭和4年(1929年)には貴族院勅選議員となり、昭和6年(1931年)には東京弁護士会会長に就任。昭和7年(1932年)、関東長官を最後に退官。昭和9年(1934年)、勲一等瑞宝章を受ける。同年日満法曹協会会長に就任。昭和15年(1941年)、大日本興亜同盟理事長。

戦後は貴族院議員を辞職し[2]、次いで公職追放となり[11]、昭和21年(1946年)に日本大学総長・総裁を辞任するが[12]、昭和26年(1951年)追放解除[13]。昭和27年(1952年)に日本大学名誉総長となる。

昭和31年(1956年)7月の第4回参議院議員通常選挙全国区自由民主党から立候補するも落選した[14]。昭和43年(1968年)死去、従三位を追贈された。墓所は文京区護国寺

主著

  • 『刑法原理』日本大学、大正元年、1912年。
  • 『刑事政策学』日本大学、大正3年、1914年。
  • 『刑法大意』大正9年、1920年。
  • 『宇宙の大理』昭和26年、1951年。
  • 『新教』新教研究所昭和31年、1956年。

脚注

  1. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、38頁。
  2. ^ a b 『官報』 第5725号 1946年2月15日 「貴族院 議員辞職」
  3. ^ 『信州の人脈(上)』131頁
  4. ^ 『日本大学百年史』 第二巻、473頁
  5. ^ 橘木(2021) 36頁
  6. ^ 『日本大学百年史』 第二巻、474頁
  7. ^ 橘木(2021) 37頁
  8. ^ 『日本大学百年史』 第五巻、39頁
  9. ^ 『日本大学百年史』 第二巻、507-508頁
  10. ^ 『長野県百科事典』 810頁
  11. ^ 『朝日新聞』1946年2月28日一面
  12. ^ 『日本大学百年史』 第三巻、37頁
  13. ^ 『朝日新聞』1951年8月7日二面
  14. ^ 『国政選挙総覧:1947-2016』546頁。

参考文献

  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 信濃毎日新聞社『信州の人脈(上)』1966年、131-138頁。
  • 「郷土歴史人物事典 長野」第一法規 1978年。
  • 『人間山岡萬之助傳 - わが道をゆく』細島喜美、講談社、1964年。
  • 前山亮吉「山岡萬之助」『近現代日本人物史料情報辞典』吉川弘文館、2004年。
  • 信濃毎日新聞社開発局出版部 『長野県百科事典』 信濃毎日新聞社、1981年。
  • 日本大学百年史編纂委員会 『日本大学百年史』 全5巻、学校法人日本大学、1997-2006年。
  • 『国政選挙総覧:1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。
  • 橘木俊詔 『日本大学の研究』 青土社、2021年。

関連項目

外部リンク






固有名詞の分類

日本の法学者 蓮井良憲  水辺芳郎  山岡萬之助  箕作麟祥  内田芳明
日本の弁護士 後藤啓二  遠藤誠  山岡萬之助  梨木作次郎  井戸田侃
国政選挙立候補経験者 原田大二郎  後藤啓二  山岡萬之助  小嶺忠敏  荻生和敏
貴族院勅選議員 関屋貞三郎  若槻禮次郎  山岡萬之助  箕作麟祥  湯沢三千男
日本の哲学者 服部正明  山形頼洋  山岡萬之助  内井惣七  西條剛央
日本大学の教員 西田幾多郎  秋山孝允  山岡萬之助  山川一陽  菊池義郎
日本の裁判官 山崎今朝弥  遠藤誠  山岡萬之助  本郷元  佐藤文哉
日本の検察官 岩村通世  馬場義続  山岡萬之助  山川一陽  大鶴基成
刑法学者 松宮孝明  三枝有  山岡萬之助  中森喜彦  山口厚
日本の官僚 (司法省・刑部省) 岩村通世  馬場義続  山岡萬之助  箕作麟祥  益田克徳
長野県の政治家 小沢貞孝  山岡萬之助  羽生三七  米窪満亮  小山峰男

英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「山岡万之助」の関連用語

山岡万之助のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



山岡万之助のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの山岡萬之助 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS