宣誓の場としてのマディーナの預言者のミンバルとは? わかりやすく解説

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宣誓の場としてのマディーナの預言者のミンバル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/24 05:48 UTC 版)

ミンバル」の記事における「宣誓の場としてのマディーナの預言者のミンバル」の解説

イスラーム世界におけるミンバル中でもマディーナ預言者ミンバル当然ながら特別な位置占めている。判決確定過程において、預言者ミンバルの下で行われる宣誓には特別な重要性がある(偽証の罪hrt in die Hölle)。預言者ミンバルの脇もしくは上で偽証を行うと地獄落ちとされる関連するハディース預言者言行録)の中に、この意味規範的な性質のものがある―― 「 私の説教壇ミンバル)で偽証行った者は、地獄の火に焼かれるであろう。 」 「地獄の火に焼かれるであろう」というのは、ハディースでは似たような文脈でしばしば用いられるモチーフである。預言者のこの演説記録した思われる最古のものは、学者マーリク・イブン・アナス法的著作である。注釈によれば預言者ミンバルの下で宣誓をするという被告人要請イスラームの法の実践発端であったという。イスラーム伝承によれば預言者ムハンマド法律問題における彼の説教壇の下での宣誓スンナとして規準化したのだという。しかしながら今日研究ではムハンマド存命中ではマディーナ預言者ミンバルメッカカアバのような宣誓行われ聞かれる神聖な場所ではなかったのではないかとされている。所謂マディーナ憲法とされる初期のものでも最古文書ではマディーナ預言者の家(フランス語版)を「神聖」で「ハラーム」(不可触)としているのみで、特別な場所とはしておらず、また「ミンバル自体言及もしていない説教壇タブー化マディーナミンバルで「特別な誓いをすることは、その建立よりも後の時代起源を持つようである。説教壇徐々に公事議論のための演壇」(ゴルトツィーエル・イグナーツとなっていった。カール・ハインリヒ・ベッカー(ドイツ語版)がその研究において適切に記述しているように、ミンバル最初は「裁判官椅子」といったものであり、誰もが知っていた祈祷時間以外のムハンマド居場所であった。従って、説教壇早い時期から既に世俗的政治的権力シンボルとして理解されており、政治的正当性実現確認の場所であったのである初代カリフ選挙の際にアブー=バクルは、人々彼に真の誓いをさせるため説教壇に立つことを勧められのであるムハンマド・アル=ブハーリーによる出来事記録書かれているイブン・ハンバルの『ムスナッド(英語版)』によれば――「人々が集まると、アブー=バクル説教壇ミンバルの上彼のために作られた何かの上に立ち、そこで演説をした。」 預言者ミンバルというのが構築物そのものではなくその大きさや形も決定的ではなかったとしても、まさにその「場所」において宣誓はなされ政治的正当性受けたのである宣誓習慣イスラーム以前から既に存在していたので、マディーナおよび後には地方都市においての公的生活法的判断における宣誓の場所としてのミンバル機能はもともとはメッカ聖地とはパラレルなものとは考えられていなかった。メッカカアバマディーナ預言者ミンバルという2つの場の同期化は、8世紀後半マーリク・イブン・アナスアッシャーフィイ英語版)の時代になってからの初期法学での体系化よるものである。正義発見過程において、預言者ミンバルは法の「調停の座」مقطع الحقوق とされた。他方で、イスラーム帝国の大モスク――ダマスカスクーファフスタートコルドバ――では、ミフラーブ近く宣誓の場として通用していた。 しかしながら9世紀イスラーム法学では単なるモスクミンバルの下での宣誓効力のないものとされていた。「何人も遊牧民モスクでの宣誓召喚されることはない、4分の1ディナールのためにもそれ以下のためにも。」そのような法解釈――部族宿泊地のものと都市民のものとではモスクの間に差別がある――は、定住民と遊牧民の間に社会的差別生じさせていた可能性大いにある。 マディーナ預言者ミンバル前史時代からの遺宝として残り現在では不可侵なものとなっている。こうした考えは、史料によればムスリム最初世紀西暦7世紀)には既にイスラーム伝統一部として存在していた。ウマイヤ朝カリフたち――ムアーウィヤアブドゥルマリクワリード1世――は、ウマイヤ朝新し首都政治力強調するために預言者説教壇ダマスカス移設したいという意図持っていた。ムアーウィヤ政治的意図から移設実施しようとしたが果たせず、説教壇を布に包んで元の場所に残しておいた。物を通じた行為[訳語疑問点]はユリウス・ヴェルハウゼンと後にはC・Hベッカー描写しているように ある種聖性にまで達しており、メッカカアバにおけるものはイスラーム以前時代から一般的であった預言者ミンバルタブー化に対して人々疑念抱いたことは、8世紀中旬には既にハディースの形で預言者発言帰せられて表されていた。「人々が私の墓を偶像として崇拝し、私の説教壇祭事用いるようなことから神が私をお守りになるように。」 メッカではカアバに「特別な宣誓の場所があるが、ミンバルはない。宣誓黒石のある角とマカーム・イブラヒーム(アブラハム立った場所)の間で行われる(baina r-rukn wa-ʾl-maqām)。アル=アズラキによれば8世紀初頭以降はこの場所の聖性強調するために、この場所で些細なこと宣誓を行うことは許されないメッカ学者たちが定めた

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