執政官就任とマルクス・リウィウス・ドルススとの対立とは? わかりやすく解説

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執政官就任とマルクス・リウィウス・ドルススとの対立

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/05 15:31 UTC 版)

ルキウス・マルキウス・ピリップス (紀元前91年の執政官)」の記事における「執政官就任とマルクス・リウィウス・ドルススとの対立」の解説

ピリップスが執政官務めた年(紀元前91年)の主な出来事には、護民官マルクス・リウィウス・ドルスス改革がある。ドルススオプティマテス門閥派)に属しており、騎士階級権力強化元老院に代わって対抗するものであった思われる当時権力濫用に関する法廷は、騎士階級支配しており、プブリウス・ルティリウス・ルフス冤罪着せてローマから追放しさらには元老院筆頭であるスカウルスに対す攻撃行っていた。これに対してドルスス著名な元老院議員からの支援受けていた。スカウルスのほか、当時最高の弁論家とされたルキウス・リキニウス・クラッスス紀元前95年執政官)、クィントゥス・ムキウス・スカエウォラ・ポンティフェクス紀元前95年執政官)、さらにマルクス・アントニウス・オラトル紀元前99年執政官)や、この年プラエトル・ウルバヌス首都担当法務官であったクィントゥス・ポンペイウス・ルフス等が含まれる。さらにドルスス支持した若い政治家にはガイウス・ユリウス・カエサル・ストラボ・ウォピスクス(紀元前90年上級按察官)、プブリウス・スルキピウス(紀元前88年護民官)、ガイウス・アウレリウス・コッタ紀元前75年執政官)、ルキウス・ムンミウス紀元前90年護民官)等がいた。 ドルススの改革は、全ての階級を満足させようとするものであった元老院裁判権利騎士階級から取り戻し騎士階級元老院300議席を持つ、一般平民に対して土地穀物分配を行う(あるいはパン価格下げる)。しかし、どのグループにも反対するものがおり、反ドルスス結束した。特に、ピリップスを筆頭とする元老院議員多く改革反対した。ピリップスを告訴したことがあるカエピオも元老院側に回った歴史学者E. ベディアンは、紀元前100年代に最も影響力のあった政治家であるガイウス・マリウスが、両者背後にいることを示唆している。 主な論争民会繰り広げられた。ドルスス全ての提案組み合わせた法案提出したが、ピリップスは反対した。それぞれのグループ過激な行動をとった。ドルススタルペーイアの岩から突き落とすぞとカエピオを脅し、ピリップスに対して暴力まで使った彼の法案異議唱えた執政官(ピリップス)に対してドルスス民会の中で首を強く絞め結果大量鼻血出た。これを見たドルススは、執政官の贅沢ぶりを揶揄し、まるでマグロが潮を噴いてるようだと言った。 アウレリウス・ウィクトル『共和政ローマ偉人伝』、LXVI, 9. ただし、フロルスはピリップスの首を締めたのはドルススではなくその補佐官としている。 このような反対に関わらずドルスス法案可決された。対するピリップスは、元老院に対してこの法律取消要求した。その理由は、採択暴力用いられたこと、および本来異な法案一つまとめて新し法案とすることは禁止されていること(紀元前98年のカエキリウス・ディディウス法)、であった。しかしピリップスは元老院では決定的な支持者を得ることができず、このため民会センセーショナルな発言行った。すなわち、「執政官として現在の元老院では共和国統治することができないので、より合理的な国家評議会設立する必要がある」と述べたのである翌日9月13日)、ドルスス元老院招集し状況に関する議論行ったドルススは、ピリップスが民衆の前で元老院議員攻撃した述べたドルススクラッスス支持されていた。クラッススは「元老院の不幸と、執政官支持されていない状態を嘆いた。その権威は、まるで無法者あるかのように執政官引き裂かれた。執政官役割は、元老院に対して良き親や信頼できる後見人役割を果たすことだ。しかし、共和国多大な損害与えてきた人物が、元老院不要というのは驚くべきことではない」と述べた。 これを聞いたピリップスは自制心失いクラッススインペリウム懲罰行使する脅した(この措置通常会議欠席した元老院議員適用された。懲罰には質を差し出す必要があった)。クラッススは、自分元老院議員として認めない者を執政官として認めない答え、後に有名になった言葉を口にした。 貴殿は、これまで元老院権威質に取って人々の前で散々踏みにじってきておきながら、今更一人の質ごときで私が怯えると思うのか!私を罰したければ、これっぽっちの質などではなく、私の舌を切るべきなのだ!たとえ舌を切り取られ息を吐くことしか出来なくなったとしても、私は自由な権利行使し貴殿恣意性反論し続けであろうキケロ弁論家について』、III, 1.4 元老院議員クラッスス演説衝撃を受け(後にキケロはこの演説を最高のものと認めた全会一致次の決定をした。「ローマ市民は、元老院が常に共和国利益のために献身していることを疑ってならない。」もちろんこれはピリップスの発言対するものであった。しかし、演説全力使ったためか、クラッスス演説終えた直後体調崩し9日後に死去したクラッスス死去は、それまで経過よりもはるかに影響大きかった強力な支持者失ったドルスス「派」は明らかに弱体化した。さらに、ローマ市民権求めていた同盟都市市民と、ドルススの関係に関する情報出てきた。 話は春に戻るが、アルバ山の祭りの際に、ソキイ(ローマ同盟都市)が、ピリップスとカエサルの両執政官生贄として神に捧げようとする企てがあることを、ドルススはピリップスに伝えていた。これがドルスス疑惑向けられるきっかけとなった。後に明らかになったことは、全同盟都市市民ドルスス忠誠誓い、もし彼らがローマ市民権を得ることに成功した場合には、ドルスス最大恩人とみなすことに同意しているということである。この忠誠文面自分の手取り元老院議員たちに読み上げたのは、ピリップスであった推測されている。一人護民官の手巨大な力が集中するという見通し怯えた人々は、カエキリウス・ディディウス法に基づいてドルスス法案無効であると宣言した。その直後ドルスス殺害された。犯人不明逮捕されることはなかった。裏にいたのはピリップスだとの噂が広まった

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