執政官就任とラティウム戦争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/22 23:13 UTC 版)
「ガイウス・マエニウス」の記事における「執政官就任とラティウム戦争」の解説
ガイウス・マエニウスはプレブス(平民)に出身である。紀元前338年にルキウス・フリウス・カミッルスと共に、執政官に就任したが、この年は第二次ラティウム戦争の最終段階であった。ガイウス・マエニウスはローマ海軍を指揮して、アンティウム(現在のアンツィオ)、ラヌウィウム(en)、アリキア(現在のアリッチャ)、ウェリトゥラエ(現在のヴェッレトリ)のラティウム同盟軍にアンティウムの戦いで勝利した。この勝利でラティウムの征服は完了した。この勝利の後、ガイウス・マエニウスは敵艦の衝角(ロストラ)を6個を戦利品としてローマに持ち帰り、フォルム・ロマヌムの演壇の側面に設置した。その後この演壇はロストラと呼ばれるようになった。この勝利の後、両執政官共に凱旋式を実施する栄誉を得、さらに騎乗姿の像がフォルム・ロマヌム]に建てられたが、これは稀なことであった。ガイウス・マエニウスの像は、フォルムの端のカピトリヌスの丘に建てられた円柱の上に置かれ、マエニウスの柱(コルム・マエニア)と呼ばれた。加えて、この勝利を記念してアンティアティクス(Antiaticus)のコグノーメン(第三名)を名乗った可能性もある。
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