執政官への野心
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/12 15:49 UTC 版)
「ルキウス・セルギウス・カティリナ」の記事における「執政官への野心」の解説
トルクァトゥスとコッタが執政官の年(紀元前65年)、カティリナはプブリウス・クロディウス・プルケルから恐喝罪(de repetundis、属州における不法所得返還裁判)で訴えられ、キケロに弁護された。裁判の結果、審判人のうち元老院議員は有罪としたが、エクィテスとトリブニ・アエラリィ(市民のうちの富裕層)によって無罪となった。 キケロはこの年7月のアッティクス宛書簡では、カティリナが裁判中のため立候補は無理だろうと予想している。続いての手紙では、 選挙戦での僕の思惑は前詳しく話したね。今のところ、一緒に立候補するカティリナを弁護するつもりでいる。訴追人とはうまくやっているから、審判人もうまく選べそうだ。もし無罪を勝ち取れれば、僕の選挙にも協力してくれるだろう。もしそうじゃなかったら、まあ我慢するしかないね。 キケロ『アッティクス宛書簡』1.2.1 この年の当選者はカエサルの遠縁であるルキウス・ユリウス・カエサル (紀元前64年の執政官)であった。カティリナを訴追したクロディウスはクラッススの影響下にあり、おそらくクラッススの贈賄によって無罪を勝ち取ったのではないかとも考えられている。キケロは、クロディウスがカティリナから金をもらって訴追したのだと後に追求している。 翌紀元前64年の執政官選挙では立候補できたものの、キケロ他計7人の候補者が乱立し、恐らく因縁のあったキケロのネガティブ・キャンペーンもあって落選、キケロとガイウス・アントニウス・ヒュブリダが当選した。
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