名門の家柄とは? わかりやすく解説

名門の家柄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 14:28 UTC 版)

吉良義央」の記事における「名門の家柄」の解説

万治2年1659年)から父とともに出仕する部屋住み身分ながら、家禄とは別に庇蔭料(ひいんりょう 家督継いでいない部屋住給与)1,000俵が支給された。 寛文2年1662年8月には、大内仙洞御所造営御存問の使として初め京都へ赴き、後西天皇謁見賜る以降生涯通じて年賀使15回、幕府使者9回の計24上洛した。父の義冬がまとめた吉良流礼法の後継という立場から、部屋住みの身でありながら使者職を任じられており、通算24回もの上洛は高家中でも群を抜いている。こうした扱いは、徳川家新しく武家礼法欲していた為ともいわれている。 寛文3年1663年1月19日後西上皇院政開始対する賀使としての2度目の上洛の際、同年2月3日22歳にして従四位上昇叙寛文4年1664年)閏5月義兄上杉綱勝嗣子なきまま急死したために米沢藩改易危機陥ったが、保科正之上杉綱勝岳父)の斡旋を受け、長男三之助上杉家養子上杉綱憲)とした結果上杉家改易免れ30万石から15万石への減知で危機収束させた。綱勝急死は義央による毒殺説存在するが、これは上杉家江戸家老千坂高房らと対立して失脚した米沢藩士・福王子八弥の流言飛語とも言われ毒殺説信憑性乏しいとされている。 以後、義央は上杉家との関係積極的に利用するようになり、財政支援をさせたほか、3人の娘達を上杉家養女として縁組有利に進めようとした。長女鶴姫薩摩藩主・島津綱貴の室、三女阿久利姫は交代寄合旗本津軽政兕の室、四女菊姫旗本酒井忠平の室となっている(鶴姫1680年11月20日に綱貴に離縁され菊姫死別するが、のちに公家大炊御門経音の室となって1男1女を産む)。 寛文8年1668年5月、父・義冬の死去により家督相続する時に28歳延宝8年1680年8月29日高家極官である左近衛権少将転任し延宝8年1680年11月20日島津綱貴嫁いでいた鶴姫離縁される天和3年1683年3月には大沢基恒畠山義里とともに高家肝煎就任した貞享3年1686年)に領地のあった三河国幡豆郡黄金堤築いたという伝承があるが、実際に義央が築堤したという信憑性乏しいとされている。 また、長男・綱憲の上入り以後嫡男次男三郎だったが、貞享2年1685年9月1日夭折。綱憲や幕府とも協議の末、綱憲次男の春千代吉良左兵衛義周改名させて養子とし、元禄3年1690年4月16日江戸鍛冶橋邸宅迎え入れた元禄11年1698年9月6日勅額火事により鍛冶橋邸を焼失し、のち呉服橋にて再建する。この大火消防指揮とっていたのは播磨赤穂藩主・浅野長矩であった

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名門の家柄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 19:07 UTC 版)

司馬懿」の記事における「名門の家柄」の解説

河内郡温県孝敬里出身司馬防次男で、楚漢戦争期の十八王の一人である殷王司馬卬の12世孫にあたる。司馬氏代々尚書などの高官輩出した名門の家柄で、司馬懿自身幼い頃から厳格な家風の下に育った。 兄に司馬朗(伯達)が、弟に司馬孚(叔達)・司馬馗(中国語版)(季達)・司馬恂中国語版)(顕達)・司馬進(恵達)・司馬通(雅達)・司馬敏(幼達)らがいる。司馬家の8人の男子は字に全て「達」が付き聡明な者ぞろいであることから「司馬八達」と呼ばれたただ単に八人の達たちということでなく、「八人達人」という意味合いにかけている)。妻に張春華息子司馬師司馬昭らが居る。兄の司馬朗同様に曹操に出仕した。 司馬懿若年の頃から聡明で、博覧強記才気煥発知られ優秀な人物揃っていた司馬八達中でも最も優れた人物といわれていた。『晋書』宣帝紀」によると、司馬懿苛烈性格であった感情を隠すのがうまく、内心激し怒り抱いている時も表面では穏やかに振る舞ったという。

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