名門の軍人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 00:39 UTC 版)
バイエルン王国ヴュルツブルクに、300年以上も同国の軍人を歴代輩出する家系に生まれる。1912年に没した父マクシミリアンの最終階級はバイエルン王国陸軍少将。ハルダーはアビトゥーア合格後の1902年に、士官候補生としてアンベルクの第3王立バイエルン砲兵連隊「プリンツ・レオポルト」に配属される。当時の連隊長は父マクシミリアンだった。1904年、格別の優秀な成績で少尉に任官。砲兵学校、工兵学校、陸軍大学などで学習を続ける。1914年に陸軍大学を首席で卒業。1907年、軍人の娘ゲルトルートと結婚。夫妻は三女をもうけた。 第一次世界大戦には東部戦線、西部戦線で参謀として従軍。早くも1914年、危険な偵察任務に従事して戦功を挙げ、一級鉄十字章。1915年、第6バイエルン歩兵師団兵站部長。同年大尉に昇進。1917年から第2軍、ついで第4軍参謀。終戦後の1919年、国防省で戦術教官となる。1922年に少佐、1931年に大佐に昇進。
※この「名門の軍人」の解説は、「フランツ・ハルダー」の解説の一部です。
「名門の軍人」を含む「フランツ・ハルダー」の記事については、「フランツ・ハルダー」の概要を参照ください。
- 名門の軍人のページへのリンク