印籠の場面の定着と変化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 07:58 UTC 版)
「水戸黄門 (パナソニック ドラマシアター)」の記事における「印籠の場面の定着と変化」の解説
従来の『水戸黄門』同様、藩主や城代家老などが「梅里」と記された短歌を見て、光圀が御出でになっていたことを悟るという例もあった。第11部では鎌倉彫の職人が「梅里」の名を見て目の前にいる人物が光圀であることを悟っている。第12部などでも同様のパターン(備前焼の職人など)が用いられたことがある。異なるパターンとしては第6部では宿の主人に書き残した書き置きの名を見て光圀であることを悟っている。 大名行列の前にみすぼらしい姿で現れ、駕籠から出てきた藩主が「〇〇殿、久しぶりじゃのう!」「〇〇殿、しばらくでしたな!」「わしじゃよ!」と言われ目の前にいる老人が光圀と気付く場面もあった。この時、悪奉行や悪代官の圧政に苦しむ百姓に(本来は死罪にあたる)直訴をさせることもあった。また、藩主や家老の屋敷に庭師や御用聞きとして入り正体を明かすこともあった。 今では格之進が印籠を出すことが定着しているが、光圀、助三郎、八兵衛、霞のお新、おるいも印籠を出したことがある。八兵衛は「控えろ控えろ!」と石段を駆け上りながら印籠をかざした(第7部 第12話「忘れてしまった仇討ち -大館-」〈1976年〉)。 公家が京などで悪事を働いているのを暴くが、公家は身分の違いなどを理由に光圀に頭を下げないという場面が登場したことがある。一例は、蜷川幸雄演じる悪徳公家六条三位(中納言)が東野黄門に追い詰められたものの「麻呂は徳川の家来ではない、帝の臣じゃ」と突っぱねて、逆に光圀達の行為を御公儀に対する狼藉であると詰り、「朝廷に楯突く逆賊」として帝に訴え出てやると脅しつけたが、そこに光圀の理解者である菊亭左大臣・梅小路大納言(有島一郎)が登場し、蜷川演じる悪徳三位を厳しく断罪した。このように、公家の処罰は菊亭左大臣・梅小路大納言に任せている。菊亭左大臣は10部・16部・18部、梅小路大納言は23部で登場している。なお菊亭左大臣と梅小路大納言は同一人物で、10部・16部は有島一郎、18部は加賀邦男、23部は武内亨がそれぞれ演じている。ただし10部における悪徳公家六条三位は確かに菊亭左大臣に断罪されたが、黒幕の広幡右大臣は全く処罰されず右大臣の職を辞任し、出家したことがエンドシーンで語られるのみであった。なお、16部では主題歌と台詞では役職が異なっており、主題歌では梅小路大納言と表記されているが、台詞では梅小路左大臣と呼ばれている。嘗ては公家は武士とは埒外の立場にいるという解釈でアンタッチャブルという設定であったが、近年は光圀自身も朝廷では権中納言の位をもっているので、下級公家に対しては直接この権威を利用して屈服させる場合がある。 長崎でのオランダ人が絡んだ悪事の際も、悪徳オランダ人が「(日本人に)私は裁けない」と開き直る場面が第22部19話であったが、オランダ商館長が登場し悪徳オランダ人を断罪した。これについてもオランダ人については商館長に処罰を任せているが、場合によっては本国のオランダ国王に処罰を任せることもある。 使用される小道具の印籠は、傷が入る等で歴代何回か作り直していて、第34部までは和紙を厚く貼って漆を塗ったものだったが、第35部からは文部大臣賞など数々の賞を受賞した5代目若島宗齋が制作した、本物の輪島塗の印籠を使用している。全部で3個作られており、その価値は「値段が付けられない」との事。本編中でも「輪島塗の名人に新しく作ってもらった」という設定になっている。初期の頃は、印籠の柄が、波・紋・雲供にビミョーな描きの物や、本体も茶色っぽい色で紋だけが大きく一個描かれた物が使用されていたが、後に、第34部まで使われた物の柄に固定された。第35部からの輪島塗印籠は、波・紋・雲の柄が変わっている。第34部までの物は徳川葵タイプ、第35部からの輪島塗印籠は水戸葵タイプである。(三つ葉葵の項目も参照) 印籠シーンが20時45分前後に固定されるようになった背景には、2代目黄門役・西村晃の特攻隊時代からの友人である千玄室が印籠シーンの時間を一定にするよう西村に依頼したことがあるという説があるが、千玄室によると、依頼したことは事実だが西村はそのことをスタッフに伝えなかったそうである。
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