友人・西村晃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/18 05:35 UTC 版)
同年生まれ(学年は玄室が1年下)の俳優である西村晃とは舞鶴海兵団で出会い、特攻隊の編成の際にも同じ隊に所属していた。特攻作戦の実行が近づいたため徳島から串良海軍航空基地に移動する日、飛行訓練後に自分達が乗る飛行機の機体の傍で手持ちの道具と配給の羊羹で5人の隊員全員と茶会を催した事は、戦後西村の述懐・自身の著作や講演などで広く知られる。終戦直前に鹿屋から松山の基地への転属が命じられたため西村とは別れることとなった。戦後の1946年(昭和21年)に偶然にも用事で文部省の建物の前にいた玄室は、メーデーで演劇関係者が結成した労働組合の行列の中から大声で名前を呼ぶ声があり西村と再会を果たすこととなったが、この時まで西村は出撃により既に亡くなったものと思っていたという。西村は出撃したが機体故障の為引き返し、また玄室自身は出撃する事が無かった為、同隊ではこの2人のみが生還した。1997年に西村が死去した際、生前の約束(どちらかが亡くなった場合、残された者が葬儀委員長を務める)に従って葬儀委員長を務めた。 テレビ時代劇「水戸黄門」の印籠シーンが午後8時45分前後に固定されるようになった背景には玄室が印籠シーンの時間を一定にするよう西村に依頼したことがあるという説があるが、玄室によると、依頼したことは事実だが西村はそのことをスタッフに伝えなかったそうである。 「水戸黄門 (パナソニック ドラマシアター) #印籠の場面の定着と変化」も参照
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