友人会員など
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/09 02:31 UTC 版)
必勝から封書2通を託されていた田中健一(3期生)は、三島のメモの指示通りに「11時」という時刻を厳守して、楯の会11月例会が予定されていた市ヶ谷会館の玄関受付のところで徳岡孝夫にそれを渡した。 パトカーのサイレンが周囲で騒がしくなる中、代表の者に取り次いでほしいと会館にかかってきた電話で、三島の行動を知った田中は、隣室にいた約30名の会員を作業服に着替えさせた。2隊に分かれて突っ込もうかという話を西尾俊一(4期生)と相談し、一旦部屋から出ていった2人はまもなく戻ると、「先生の指示があるまでしばらく待機せよ」と会員らに命じた。この時、市ヶ谷会館は警察に包囲されていた。 三島と必勝が割腹自決したニュースを詳しく知った11時45分頃、田中は全員を制服に着替えさせ、会館の玄関前に整列させた。その時田中は、あとの指揮を鶴見友昭(3期生)に任せ、特殊警棒を振り回しながら警官隊を突破しようとした。西尾と今井丈美(千葉経済大学、5期生)もそれに続き、3人は公務執行妨害で逮捕された。残った会員たちは任意同行を求められ、整列して「君が代」を斉唱した後、「天皇陛下万歳」を三唱し、四谷署に連れて行かれた。 必勝と同じ「十二社グループ」、政治結社「祖国防衛隊」のメンバーは、いつでも必勝と一緒に死ぬ覚悟ができていたため、「置いてゆかれた」という取り残された思いが強かった。野田隆史(4期生)は、夢に出てくる必勝の姿に悩まされたという。 夢に出てくる森田さんは、首に介錯を受けた傷跡があるんです。しかもその傷跡に、縫い目があるのでかなわんのです。われわれの心のなかには、いつまでも森田必勝が存在しています。楯の会百人のなかから森田必勝ひとりを見つけたというだけで、三島先生は幸せだったでしょう。 — 野田隆史 早大国防部で必勝と共に、納沙布岬から貝殻島まで泳いで渡ろうとした後輩の遠藤秀明は、西ドイツのマインツ大学留学中に、友人・ペーターから事件のニュースを知らされた。 森田先輩が死んだと知って、私は先輩を誤解していたことに気づいたのです。森田さんが計画(貝殻島上陸作戦)を中止したのは、臆病風に吹かれてのことではなかった。かれには中止する勇気があり、納沙布でのことを茶番でおわらせないためにも、淡々とXデイにむかってすすんで行ったのでしょう。 — 遠藤秀明
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