南仏カーニュとは? わかりやすく解説

南仏カーニュ(1903年-1919年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 06:28 UTC 版)

ピエール=オーギュスト・ルノワール」の記事における「南仏カーニュ(1903年-1919年)」の解説

1903年、南仏カーニュ=シュルメールで、郵便局のある建物(ヴィラ・ド・ラ・ポスト)に住むようになった。子煩悩ルノワールは、これまでも、長男ピエール二男ジャンモデル多く作品描いてきたが、三男クロード愛称ココ)が生まれてからは、クロード成長記録のように更に多く作品のモデルとした。また、ルノワールは、晩年リヨン出身画家アルベール・アンドレ(英語版)を息子のように愛しアンドレはエッソワやカーニュのルノワール邸を頻繁に訪れた。彼は、晩年ルノワールの姿を数多く描くとともに1919年ルノワール言行記したルノワール』を刊行したルノワールは、1904年サロン・ドートンヌでは一室与えられ1905年には、サロン・ドートンヌから名誉総裁称号授与された。1906年メトロポリタン美術館ルノワールの『シャルパンティエ夫人とその子どもたち』を購入した1907年カーニュ=シュル=メールのレ・コレットに別荘を買い、晩年をここで過ごした。しかし、リューマチ悪化し1910年夏にミュンヘン旅行したものの、帰国後、歩くことができなくなり車椅子での生活となったジャン回想によれば、レ・コレットには、モーリス・ドニポール・シニャックピエール・ボナールアンドレ・ドランアンリ・マティスパブロ・ピカソなど、若い画家毎日のように訪れてきていたという。1906年アリスティド・マイヨールルノワール胸像制作したことを機に彫刻興味持ち始め画商ヴォラールの勧め彫刻手がけるようになった1913年以降は、マイヨール弟子リシャール・ギノ(英語版)が、ルノワールデッサン指示基づいていくつも彫刻作品生み出した1911年10月レジオンドヌール勲章4等勲章受章した1912年手術受けたが、良い結果にはならなかった。この年デュラン=リュエルがカーニュを訪れ椅子から立ち上がることもできないルノワール様子を見るが、「描く時は、かつてと変わらない上機嫌で、幸福な彼を見ることができた。」と語っている。動かない手に絵筆縛り付けたルノワール写真残っている。アルベール・アンドレによると、縛り付けた絵筆制作中は外せないため、絵具変える度に絵筆を洗わなければならず、画面パレット筆洗との間を慌ただしく行き来するうちに、腕は疲労硬直していたという。こうした苦闘の中から、歓喜満ちた作品生み出していった。 1914年息子ピエールジャン出征し負傷した1915年、妻アリーヌは、負傷したジャン見舞い行った帰り糖尿病悪化して56歳亡くなった1919年2月レジオンドヌール勲章3等勲章受章した。その年、ルーヴル美術館が『シャルパンティエ夫人肖像』を購入しルノワールは、美術総監招かれ自分作品憧れ美術館展示されているのを見ることができた。 同年12月3日、カーニュのレ・コレットで、肺充血亡くなったルノワールは、死の数時間前、花を描きたいからと言って筆とパレット求め、これを返す時、「ようやく何か分かりかけてきたような気がする。」とつぶやいたという。もっとも、この伝説の出所不明であり、デュラン=リュエルによれば、「私はもうだめだ。」とつぶやいたという。長男ピエールによれば、「2日にわたり肺の鬱血襲われたが、心臓止まった時には回復していた。彼の最後の瞬間はかき乱され半ば無意識の一時的錯乱状態でよくしゃべったが、直接彼に話しかける大丈夫だ答えた。それから彼はまどろみ、約1時間後に呼吸止まった。」という。 ルノワール訃報聞いたモネ衝撃を受け、「とてもつらい。私だけが残ってしまったよ。仲間たち唯一の生き残りだ。」と友人書いている。 『カーニュのテラス1905年油彩キャンバス46 × 55 cmブリヂストン美術館。 『横たわる裸婦フランス語版)』1906年頃。油彩キャンバス67 × 160 cmオランジュリー美術館。 『アンブロワーズ・ヴォラール肖像1908年油彩キャンバス、81.6 × 65.2 cmコートールド美術研究所。 『道化衣装のクロード・ルノワール(フランス語版)』1909年油彩キャンバス120 × 77 cmオランジュリー美術館。 『白い帽子自画像フランス語版)』1910年油彩キャンバス42 × 33 cm個人。 『足を拭く浴女1910年頃。油彩キャンバス84 × 65 cmサンパウロ美術館。 『薔薇を持つガブリエルイタリア語版)』1911年油彩キャンバス、55.5 × 47 cmオルセー美術館。 『パリスの審判』1913-14年頃油彩キャンバス73 × 92.5 cmひろしま美術館。 『勝利ヴィーナス1914年ブロンズ、177.8 × 106.7 × 81.3 cmノートン・サイモン美術館。 『浴女たち』1918-19年頃油彩キャンバス、110 × 160 cmオルセー美術館

※この「南仏カーニュ(1903年-1919年)」の解説は、「ピエール=オーギュスト・ルノワール」の解説の一部です。
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