ピエール・ボナールとは? わかりやすく解説

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ボナール【Pierre Bonnard】

読み方:ぼなーる

[1867〜1947フランス画家身近な生活情景に材を取り色彩それ自体の美を追求した

ボナールの画像
ボルナール(1900ルドン画)/ワシントン・ナショナル・ギャラリーhttps://bit.ly/31VClqI
ボナールの画像
フランス・シャンパーニュ(1889-91)/シカゴ美術館https://bit.ly/31PtcQL
ボナールの画像
日本画影響受けた作品(1889頃)/https://bit.ly/3s2aqQU
ボナールの画像
男と女1900)/オルセー美術館https://bit.ly/3rWmu66
ボナールの画像
田舎食堂(1913)/ミネアポリス美術館https://bit.ly/3mojXQO
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果物籠(1922)/セントルイス美術館https://bit.ly/2OtWLEo
ボナールの画像
ボナールの名詞(1889–1947頃)/メトロポリタン美術館https://bit.ly/3rQ7wyo

ピエール・ボナール

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/24 01:25 UTC 版)

ピエール・ボナール
Pierre Bonnard
生誕 (1867-10-03) 1867年10月3日
フォントネー=オー=ローズ
死没 1947年1月23日(1947-01-23)(79歳没)
ル・カネ
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ピエール・ボナールPierre Bonnard, 1867年10月3日 - 1947年1月23日)は、ナビ派に分類される、19世紀から20世紀に活動したフランス画家

ポスト印象派とモダンアートの中間点に位置する画家のひとりで、版画やポスターにも優れた作品を残している。裸婦を描いたものも多い。また、ボナールは一派の画家(ナビ派)の中でも最も日本美術ジャポニスム)の影響を強く受け、「ナビ・ジャポナール」(日本かぶれのナビ、日本的なナビ)と呼ばれた[1]。ボナールは室内情景などの身近な題材を好んで描いたことから、エドゥアール・ヴュイヤールと共にアンティミスト(親密派)と呼ばれている[1]

経歴

1867年、陸軍省の役人の息子としてオー=ド=セーヌ県フォントネー=オー=ローズに生まれた[2]1887年、大学の法学部に入学し、1888年には弁護士資格を取得した。彼は、その傍らアカデミー・ジュリアンに通い、ポール・セリュジエモーリス・ドニと出会っている[3][4][5][6]1888年にはセリュジエを中心に、後にナビ派と呼ばれることになる画家グループを結成した(「ナビ」は「預言者」の意)[7]。 1889年エコール・デ・ボザール(官立美術学校)に入り、ヴュイヤールと知り合う。1890年、ボナールはエコール・デ・ボザールで開催された日本美術展を見て感銘を受け、以後の作品には日本絵画の影響が見られる。

バスティーユの日のパルマ通り

1893年(1894年とも)、後にボナールの妻となる女性、マリア・ブールサン(通称マルト)と出会う。これ以降のボナールの作品に描かれる女性はほとんどがマルトをモデルにしている。マルトという女性は、病弱な上に神経症の気味があり、また、異常なまでの入浴好きで、一日のかなりの時間を浴室で過ごしていたと言われる。実際、ボナールがマルトを描いた絵は、浴室の情景を表したものが多い。

ボナールの絵の平面的、装飾的な構成にはセザンヌの影響と共に日本絵画の影響が見られる。一部の作品に見られる極端に縦長の画面は東洋の掛軸の影響と思われ、人物やテーブルなどの主要なモチーフが画面の端で断ち切られた構図は、伝統的な西洋美術には見られないもので、浮世絵版画の影響と思われる。ボナールの画面は1900年頃からそれまでの茶系を主調とした地味なものから、暖色を主調にした華やかな色彩に変化する。ボナールの華麗な色彩表現は、印象派とも日本の版画とも一線を画す、彼独自のものである。

ボナールは病弱なマルトの転地療養のためもあり、1912年にはパリ西郊ヴェルノン1925年には南仏ル・カネに家を構え、これらの土地でもっぱら庭の風景、室内情景、静物などの身近な題材を描いた。1947年、ル・カネで没した。

作品

ギャラリー

ボナールを題材とした作品

+ 画家ボナール ピエールとマルト - 2024年のフランス映画。

脚注

  1. ^ a b c d 『一個人』 2018, p. 92.
  2. ^ ボナール展、光と色の調和の世界にいざなう”. swissinfo.ch (2012年4月4日). 2018年9月17日閲覧。
  3. ^ Cogeval, Guy, Bonnard (2015) p. 8
  4. ^ Pierre Bonnard French artist 8 May 2023閲覧
  5. ^ abcgallery.com ボナール Retrieved 8 May 2023
  6. ^ ugeniodavenezia.eu Retrieved 8 May 2023
  7. ^ Cogeval, Guy, Bonnard (2015) p. 148

関連項目

参考文献


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