分派団体のその後
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暁の星 1903年からアマウン神殿を率いる立場になったフェルキンは、その活動方針を黄金の夜明け団の源流であるドイツの薔薇十字系魔術結社に求めるべきと考えて自分たちを導いてくれる「秘密の首領」探しに没頭した。しかしこれは完全な迷走につながり、星幽体投射で探し当てた霊的首領の教えは団内を却って混乱させ、また直接のドイツ探訪時にルドルフ・シュタイナーを秘密の首領と誤認して持ち込まれた人智学は団内を更に紛糾させた。1912年にフェルキンはニュージーランドへ移住し現地で「エメラルドの海」神殿を開設すると、混迷するアマウン神殿を残したままイギリスを離れた。1916年に第一次世界大戦下のロンドンに一時帰還してアマウン神殿の内紛状態を確認したフェルキンは、ブリストル市に「ヘルメス・ロッジ」を設立した。過去の反省からフェルキンはアマウン神殿と同じ轍を踏むのを避けるべく、ロンドンから離れた地に黄金の夜明け団の遺産を残すための組織(ロッジ)を置いた。フェルキンの願い通り、ヘルメス・ロッジのメンバーは1930年代半ばまで安定した運営を続け、かのイスラエル・リガルディーに参入の機会を与えた。エメラルドの海神殿は現地に永住したフェルキン家族らによって、こちらでも黄金の夜明け団の遺産を守りつつ1970年代まで存続していた。アマウン神殿は1919年に一時閉鎖状態に陥り、1939年の第二次世界大戦勃発前後に自然消滅した。第一次世界大戦後の社会混乱と世界恐慌に見舞われた大戦間期を通して黄金の夜明け魔術は廃れつつあり、1934年にリガルディーが参入したヘルメス・ロッジでもすでに熱心さは失われていた。ロッジ消滅と共に貴重な知識までもが失われるのを危惧したリガルディーは、黄金の夜明け団の遺産を後世に残すべく独断で持ち出した多数の団内文書を、1938年から書籍にまとめて公開出版するという手段に踏み切った。これは秘匿を旨とする魔術界には激震をもたらしたが、第二次世界大戦の暗雲が迫る社会情勢下ではさほど興味を惹かれる事もなく緩慢に取引される程度に留まっている。黄金の夜明け魔術が復興するにはそれから三十年の時を必要とし、リガルディーの決断はそのための種子になった。 サラ・オールグッド イーディス・ネスビット エルザ・バーカー イヴリン・アンダーヒル A∴O∴ A∴O∴はパリに在るメイザースの指導下で安定した運営が行われていた。英国薔薇十字協会員が構成していたホルスとオシリス両神殿は古巣の方に移行したので、1911年時にはパリ、ロンドン、エディンバラと在アメリカ三神殿を合わせた計六神殿を束ねていた。第一次世界大戦が始まった1914年からロンドンの活動が確認されなくなり、ベリッジに代わってブロディ=イネスがイギリス側代表になった。1918年にメイザースは逝去し、妻モイナが彼の遺産であるA∴O∴を受け継いだ。翌1919年にロンドンに移ったモイナはそこで本部神殿を改めて開設し、エディンバラのブロディ=イネスの協力を得てA∴O∴の運営に従事した。同年からアメリカで更に三神殿が設立された。1928年にモイナは逝去し、女性のアデプトに後事が託されている。A∴O∴では徹底した秘密主義が取られていたので、1900年春の分裂後も変わらずメイザースが編み出し続けていたはずの魔術教義はほとんど後世に伝えられていない。1919年頃に参入し短期間で独立したダイアン・フォーチュンとP・F・ケース(英語版)の双方を通して伺えるものだけである。1939年の第二次世界大戦勃発後、A∴O∴はその役目を終えるようにして閉鎖され、無数の教義が記された団内文書も「秘密の首領」に捧げる形で全て焼却された。 聖黄金の夜明け ウェイトは知識の宝庫としての黄金の夜明け団は評価しながらも儀式魔術の異教的様式を嫌悪しており、英国淑女紳士に適したキリスト教神秘主義様式に修正するべきだと考えていた。しかし同団は元々英国薔薇十字協会の方でキリスト教神秘主義を手掛けていたメイソンたちが、異教的活動も嗜みたいと開いた魔術結社だったのでそれは本末転倒であった。1903年時のイシス・ウラニア神殿はフェルキンとM・W・ブラックデンの共同運営で、前者は教義面を担当し後者は神殿施設の所有権を含む事務面を担当していた。ウェイトの支持者は少数派だったが、肝心のブラックデンがウェイト側に回ったので形勢逆転し、同神殿はウェイトが望む常識的な神秘主義研鑽団体になった。同時に従来の儀式魔術支持者はアマウン神殿の方に移った。しかしウェイトが考案した神秘主義儀礼はやがて不評を買い始め、1914年になると元の儀式魔術を懐かしむ者たちとの間で団内は分裂した。ウェイトは自身の支持者を連れて「薔薇十字友愛会」という新たな団体を立ち上げた。残された者たちは「暁の星」に戻り、その事情を知ったフェルキンの計らいで1916年に設立された「マーリン・ロッジ」に所属して1920年代まで活動した。薔薇十字友愛会はウェイトの下で安定運営され数々の知識人文化人が参入している。第二次世界大戦下の1942年のウェイト逝去と共に解散した。
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