分派団体のその後とは? わかりやすく解説

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分派団体のその後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 16:58 UTC 版)

黄金の夜明け団」の記事における「分派団体のその後」の解説

暁の星 1903年からアマウン神殿率い立場になったフェルキンは、その活動方針黄金の夜明け団源流であるドイツ薔薇十字魔術結社求めるべきと考えて自分たちを導いてくれる「秘密の首領探し没頭した。しかしこれは完全な迷走つながり星幽体投射探し当てた霊的首領教えは団内を却って混乱させ、また直接ドイツ探訪時にルドルフ・シュタイナー秘密の首領誤認して持ち込まれ人智学は団内を更に紛糾させた。1912年にフェルキンはニュージーランド移住し現地で「エメラルドの海」神殿開設すると、混迷するアマウン神殿残したままイギリス離れた1916年第一次世界大戦下ロンドン一時帰還してアマウン神殿内紛状態を確認したフェルキンは、ブリストル市に「ヘルメス・ロッジ」を設立した過去反省からフェルキンはアマウン神殿同じ轍を踏むのを避けるべく、ロンドンから離れた地に黄金の夜明け団遺産を残すための組織ロッジ)を置いた。フェルキンの願い通り、ヘルメス・ロッジのメンバー1930年代半ばまで安定した運営続け、かのイスラエル・リガルディー参入機会与えたエメラルド海神殿は現地永住したフェルキン家族らによって、こちらでも黄金の夜明け団遺産守りつつ1970年代まで存続していた。アマウン神殿1919年一時閉鎖状態に陥り、1939年第二次世界大戦勃発前後に自然消滅した第一次世界大戦後社会混乱世界恐慌見舞われ大戦間期通して黄金の夜明け魔術廃れつつあり、1934年にリガルディーが参入したヘルメス・ロッジでもすでに熱心さは失われていた。ロッジ消滅と共に貴重な知識までもが失われるのを危惧したリガルディーは、黄金の夜明け団遺産後世に残すべく独断持ち出した多数の団内文書を、1938年から書籍まとめて公開出版するという手段踏み切った。これは秘匿旨とする魔術界には激震もたらしたが、第二次世界大戦暗雲が迫る社会情勢下ではさほど興味を惹かれる事もなく緩慢に取引される程度に留まっている。黄金の夜明け魔術復興するにはそれから三十年の時を必要とし、リガルディーの決断はそのための種子になった。 サラ・オールグッド イーディス・ネスビット エルザ・バーカー イヴリン・アンダーヒル A∴O∴ A∴O∴はパリ在るメイザース指導下で安定した運営が行われていた。英国薔薇十字協会員が構成していたホルスとオシリス両神殿は古巣方に移行したので、1911年時にはパリロンドンエディンバラと在アメリカ三神殿を合わせた六神殿を束ねていた。第一次世界大戦始まった1914年からロンドン活動確認されなくなり、ベリッジに代わってブロディ=イネスイギリス側代表になった1918年メイザース逝去し、妻モイナが彼の遺産であるA∴O∴を受け継いだ。翌1919年ロンドン移ったモイナはそこで本部神殿改め開設しエディンバラブロディ=イネス協力得てA∴O∴の運営従事した同年からアメリカで更に三神殿が設立された。1928年にモイナは逝去し女性アデプト後事託されている。A∴O∴では徹底した秘密主義取られていたので、1900年春の分裂後変わらずメイザース編み出し続けていたはずの魔術教義はほとんど後世伝えられていない1919年頃に参入し短期間独立したダイアン・フォーチュンP・Fケース英語版)の双方通して伺えるものだけである。1939年第二次世界大戦勃発後、A∴O∴はその役目終えるようにして閉鎖され、無数の教義記された団内文書も「秘密の首領」に捧げる形で全て焼却された。 聖黄金の夜明け ウェイト知識宝庫としての黄金の夜明け団評価しながらも儀式魔術異教的様式を嫌悪しており、英国淑女紳士適したキリスト教神秘主義様式修正するべきだと考えていた。しかし同団は元々英国薔薇十字協会の方でキリスト教神秘主義手掛けていたメイソンたちが、異教活動嗜みたいと開いた魔術結社だったのでそれは本末転倒であった1903年時のイシス・ウラニア神殿はフェルキンとM・W・ブラックデンの共同運営で、前者教義面を担当し後者神殿施設所有権を含む事務面を担当していた。ウェイト支持者少数派だったが、肝心のブラックデンがウェイト側に回ったので形勢逆転し、同神殿ウェイトが望む常識的な神秘主義研鑽団体になった同時に従来儀式魔術支持者はアマウン神殿方に移った。しかしウェイト考案した神秘主義儀礼はやがて不評を買い始め1914年になると元の儀式魔術懐かしむ者たちとの間で団内は分裂したウェイト自身支持者連れて薔薇十字友愛会」という新たな団体立ち上げた残された者たちは「暁の星」に戻りその事情を知ったフェルキンの計らい1916年設立された「マーリン・ロッジ」に所属して1920年代まで活動した薔薇十字友愛会ウェイトの下で安定運営され数々知識人文化人参入している。第二次世界大戦下1942年ウェイト逝去と共に解散した

※この「分派団体のその後」の解説は、「黄金の夜明け団」の解説の一部です。
「分派団体のその後」を含む「黄金の夜明け団」の記事については、「黄金の夜明け団」の概要を参照ください。

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