入幕以降とは? わかりやすく解説

入幕以降

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/23 16:40 UTC 版)

麒麟児和春」の記事における「入幕以降」の解説

1974年9月場所新入幕好成績でいきなり横綱輪島あわせられるなど、すぐに幕内上位定着突っ張りを得意としたきっぷのいい押し相撲左四つでも相撲取れた)で入幕以来7場所連続勝ち越して関脇まで昇進し三役三賞常連になる。輪島とは初顔対戦以来10度目の対戦1976年9月場所)まで7勝3敗とカモにしていた(その後逆にカモにされ、1不戦敗を含む1勝12敗)。同タイプ富士櫻との取組人気博し1975年5月場所の8日目天覧相撲では富士櫻108発の猛烈な突っ張り合い見せ昭和天皇が思わず身を乗り出したことは有名な話で、協会昭和天皇観戦する日にわざわざ割を組んだほどだった。また、時間前に立合うこともしばしばあった。本人富士櫻との対戦現役時代最高の思い出だったと語る(ちなみに対戦成績麒麟児17勝9敗と勝ち越している)。 同部屋天龍二所ノ関継承した金剛確執抱いたことを原因として1976年9月場所最後に廃業した際、仲の良かった麒麟児何度も引き止めようとしたと伝わっている。 1979年に左膝を負傷して十両陥落その後小結まで番付を戻すが1981年以降になると、次第上位には通じなくなり幕内上位では負け越し番付が下がると勝ち越すというパターン繰り返し続きいわゆるエレベーター力士として引退まで幕内長く留まった。昭和天皇も「麒麟児今度勝ち越す番だね。下位下がったから」と言ったエピソードがあり、引退までのほとんどがこの星取りパターンだった。1981年7月場所から1984年11月場所まで実に21場所の間、地方場所では勝ち越し東京場所では負け越し交互に繰り返している。両国国技館杮落とし1985年1月場所では9勝6敗と勝ち越し、このパターンストップさせたものの、逆に3月場所で4勝11敗と負け越した。また1986年11月場所から1988年5月場所までの10場所間は地方場所で勝ち越し東京場所で負け越しというパターン辿っている。

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入幕以降

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 08:10 UTC 版)

千代ノ皇王代仁」の記事における「入幕以降」の解説

2017年1月場所は中日まで2勝6敗と苦戦したが、そこから14日目まで5勝1敗と巻き返す惜しくも千秋楽北勝富士負けて7勝8敗と負け越したものの健闘した勝ち越し逃したものの場所後の2月18日都内ホテル行われた自身千代翔馬幕内昇進祝賀会では「部屋の中で(各段)優勝なしで幕内上がったのは自分だけ。殊勲賞、敢闘賞技能賞をいち早くつかんでいきます」と、続く3月場所向けて力強く話した1月場所負け越したものの、番付据え置き東前15目で3月場所迎えた。しかしけがにより11日目から途中休場するなど僅か3勝に留まり十両陥落となった5月場所は東十両6地位与えられ、8勝7敗。7月場所はやや幸運2枚上昇の西十両3枚目。6日横浜場所の朝稽古では11番申し合い行った迎えた7月場所は4勝11敗と大敗し、翌9月場所十両二けた台まで番付下げた。この場所から四股名千代皇王代仁から千代ノ皇王代仁改め、8勝7敗と勝ち越し。翌11月場所も8勝で勝ち越した。2018年1月場所は初日から7連勝果たし優勝争い先頭走っていたが、8日目からの十両上位勢との取組で6連敗一気調子崩した14日目になんとか勝ち越し決めたものの、結局8勝と1つ勝ち越しに留まった。それでも好調時の強さ光るものがあり、2018年3月場所前の記事では「腰痛さえ癒えればすぐにでも幕内だ」と評された。7月場所10日目に7勝目挙げるなど中盤まで勢いがあったが11日目から給金相撲を3連敗するなど失速残り全て勝ったがこの場所は9勝6敗。9月場所は場所前に腰痛発症した影響振るわず12日目に負け越し確定結局この場所を6勝9敗で終えた。西十両9目で迎えた11月場所は腰を痛めた影響もあって全く振るわず自己ワースト13敗を喫して32場所連続守ってきた関取地位手放すことになった2019年1月場所は東幕下5目の地位臨んだが、この場所も本来の相撲からは遠く1番相撲から連敗3番相撲からは休場となった7月場所は西幕下41目の地位で7戦全勝幕下優勝優勝の際に師匠から「関取復帰自信付いただろう、全勝優勝怪我治り気力充実。当たり前と言いたいが、よく頑張った!」と労われ、千秋楽打ち上げパーティーではホテルヒルトン名古屋総支配人フィリックス・ブッシュよりサプライズケーキプレゼントをされた。9月場所は西幕下2枚目まで番付回復し、この場所の5番相撲で勝って3勝2敗と関取復帰王手掛けたが、残り2連敗して3勝4敗と負け越した11月場所は東幕下5目と勝ち越せば番付運次第関取復帰狙え地位であったが、2勝5敗とまたしても勝ち越し逃した2020年3月場所、東幕下4目で5勝2敗とし、9場所ぶりの十両復帰決定した2021年1月場所は、場所直前に同部屋力士新型コロナウイルス感染確認されたことに伴い濃厚接触者該当する可能性があるとして同場所を全休した。翌3月場所番付事情考慮されて、全休ながら1枚降下に留まった。同年5月場所は西十両筆頭番付で、千秋楽敗れて十両優勝逃したが、11勝4敗の好成績取り終えた。翌7月場所史上5位のスロー記録となる、25場所ぶりの幕内復帰となった

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