入幕以降
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1974年9月場所新入幕、好成績でいきなり横綱・輪島にあわせられるなど、すぐに幕内上位に定着。突っ張りを得意としたきっぷのいい押し相撲(左四つでも相撲が取れた)で入幕以来7場所連続勝ち越して関脇まで昇進し三役と三賞の常連になる。輪島とは初顔の対戦以来、10度目の対戦(1976年9月場所)まで7勝3敗とカモにしていた(その後は逆にカモにされ、1不戦敗を含む1勝12敗)。同タイプの富士櫻との取組は人気を博し、1975年5月場所の8日目の天覧相撲では富士櫻と108発の猛烈な突っ張り合いを見せ、昭和天皇が思わず身を乗り出したことは有名な話で、協会も昭和天皇が観戦する日にわざわざ割を組んだほどだった。また、時間前に立合うこともしばしばあった。本人も富士櫻との対戦が現役時代最高の思い出だったと語る(ちなみに対戦成績は麒麟児が17勝9敗と勝ち越している)。 同部屋の天龍が二所ノ関を継承した金剛と確執を抱いたことを原因として1976年9月場所を最後に廃業した際、仲の良かった麒麟児は何度も引き止めようとしたと伝わっている。 1979年に左膝を負傷して十両陥落。その後小結まで番付を戻すが1981年以降になると、次第に上位には通じなくなり、幕内上位では負け越し、番付が下がると勝ち越すというパターンの繰り返しが続き、いわゆるエレベーター力士として引退まで幕内に長く留まった。昭和天皇も「麒麟児は今度は勝ち越す番だね。下位に下がったから」と言ったエピソードがあり、引退までのほとんどがこの星取りパターンだった。1981年7月場所から1984年11月場所まで実に21場所の間、地方場所では勝ち越し、東京場所では負け越しを交互に繰り返している。両国国技館杮落としの1985年1月場所では9勝6敗と勝ち越し、このパターンをストップさせたものの、逆に翌3月場所で4勝11敗と負け越した。また1986年11月場所から1988年5月場所までの10場所間は地方場所で勝ち越し、東京場所で負け越しというパターンを辿っている。
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入幕以降
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2017年1月場所は中日まで2勝6敗と苦戦したが、そこから14日目まで5勝1敗と巻き返す。惜しくも千秋楽で北勝富士に負けて7勝8敗と負け越したものの健闘した。勝ち越しは逃したものの場所後の2月18日に都内のホテルで行われた自身と千代翔馬の幕内昇進祝賀会では「部屋の中で(各段)優勝なしで幕内に上がったのは自分だけ。殊勲賞、敢闘賞、技能賞をいち早くつかんでいきます」と、続く3月場所に向けて力強く話した。1月場所は負け越したものの、番付据え置きの東前頭15枚目で3月場所を迎えた。しかしけがにより11日目から途中休場するなど僅か3勝に留まり、十両陥落となった。5月場所は東十両6枚の地位を与えられ、8勝7敗。7月場所はやや幸運で2枚半上昇の西十両3枚目。6日の横浜場所の朝稽古では11番申し合いを行った。迎えた7月場所は4勝11敗と大敗し、翌9月場所は十両の二けた台まで番付を下げた。この場所から四股名を千代皇王代仁から千代ノ皇王代仁に改め、8勝7敗と勝ち越し。翌11月場所も8勝で勝ち越した。2018年1月場所は初日から7連勝を果たして優勝争いの先頭を走っていたが、8日目からの十両上位勢との取組で6連敗と一気に調子を崩した。14日目になんとか勝ち越しを決めたものの、結局8勝と1つの勝ち越しに留まった。それでも好調時の強さは光るものがあり、2018年3月場所前の記事では「腰痛さえ癒えればすぐにでも幕内だ」と評された。7月場所は10日目に7勝目を挙げるなど中盤まで勢いがあったが11日目から給金相撲を3連敗するなど失速、残りは全て勝ったがこの場所は9勝6敗。9月場所は場所前に腰痛が発症した影響で振るわず、12日目に負け越しが確定。結局この場所を6勝9敗で終えた。西十両9枚目で迎えた11月場所は腰を痛めた影響もあって全く振るわず、自己ワーストの13敗を喫して32場所連続で守ってきた関取の地位を手放すことになった。2019年1月場所は東幕下5枚目の地位で臨んだが、この場所も本来の相撲からは遠く1番相撲から連敗。3番相撲からは休場となった。7月場所は西幕下41枚目の地位で7戦全勝の幕下優勝。優勝の際に師匠から「関取復帰に自信が付いただろう、全勝優勝。怪我が治り気力も充実。当たり前と言いたいが、よく頑張った!」と労われ、千秋楽打ち上げパーティーではホテルヒルトン名古屋の総支配人フィリックス・ブッシュよりサプライズでケーキのプレゼントをされた。9月場所は西幕下2枚目まで番付を回復し、この場所の5番相撲で勝って3勝2敗と関取復帰に王手を掛けたが、残りを2連敗して3勝4敗と負け越した。11月場所は東幕下5枚目と勝ち越せば番付運次第で関取復帰も狙える地位であったが、2勝5敗とまたしても勝ち越しを逃した。2020年3月場所、東幕下4枚目で5勝2敗とし、9場所ぶりの十両復帰が決定した。 2021年1月場所は、場所直前に同部屋の力士に新型コロナウイルス感染が確認されたことに伴い、濃厚接触者に該当する可能性があるとして同場所を全休した。翌3月場所の番付は事情が考慮されて、全休ながら1枚降下に留まった。同年5月場所は西十両筆頭の番付で、千秋楽に敗れて十両優勝は逃したが、11勝4敗の好成績で取り終えた。翌7月場所は史上5位のスロー記録となる、25場所ぶりの幕内復帰となった。
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