入幕以後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 03:44 UTC 版)
1990年11月場所は東十両4枚目で8勝7敗(勝ち越し1点)の成績で通常では入幕は考えられない成績だったが、翌1991年1月場所では幕内の定員が40人に増員したことより19歳で新入幕を果たした。この場所で10勝を挙げていきなり敢闘賞を受賞するなど、順調な成長を見せた(ただし、同場所以降、巴富士が三賞を受賞することはなかった)。同年9月場所初日にて、当時関脇であった貴花田(のち貴乃花)と対戦した際には14本もの懸賞が設定された。この記録は初日の関脇以下同士の対決としては長らく平成以降最多の懸賞設定数であり続け、後の2015年1月場所初日の遠藤-逸ノ城戦で21本を記録したことでようやく更新を見た。この取組で負傷し、幕尻まで番付を下げるが、1992年から1993年の前半にかけては、幕内上位まで番付を上げた。
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