引退と同時期の自主断髪
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 10:18 UTC 版)
1923年1月、26代横綱・大錦は三河島事件が自らの手で解決できなかったことに責任を取る意味で、その手打ち式の最中に別室で髷を切った。同時に大錦は相撲界を去ることを表明した。 1932年1月、関脇・天竜及び大関・大ノ里らは春秋園事件で相撲協会に対し改革を訴えたが、協会が拒否したため、天竜の主導で事件に参加した関取48人及び取的24人のうち、関脇・出羽ヶ嶽を除く全員が髷を切った。大半の力士がそのまま正式に脱退(廃業)したが、後述の通り、22名は事件から1年後の1933年1月場所に帰参した。 1950年9月場所前に突然廃業した関脇・力道山も断髪式は行わず、自ら髷を切った。師匠玉ノ海梅吉との金銭トラブルもあったとされている。 1963年5月場所に入幕した幕内・逆鉾は入幕以降に私生活が乱れ出し、同年秋の準場所開催中に井筒部屋の宿舎から失踪。暫くして発見されたものの、11月場所前に自ら髷を切り、その姿で公の前に現れた。この時点で逆鉾に帰参する意思はなく、そのまま廃業した。 1969年7月場所限り、28歳の若さで廃業した幕内・朝岡も断髪式を行わず自ら理髪店に赴き髷を切ったが、断髪式を辞退した理由は不明とされる。 1988年9月場所14日目を二日酔いで休場した幕内・南海龍は、同場所の終了直後、師匠朝潮太郎からの「酒と相撲、どっちを取るんだ。」という詰問に対し「酒は絶対にやめられない。」と言い残し、故郷西サモアに帰国。髷をほどきソバージュにし、アロハシャツ姿で帰国の便に搭乗したという。廃業届は同年10月7日に受理された。帰国後に散髪をしたと見られ、1990年に新日本プロレスの藤波辰爾が結成したドラゴンボンバーズに参加した際は短髪になっていたという。 2008年9月に大相撲力士大麻問題で解雇された元幕内・白露山は、地位保全の訴訟に敗れて角界復帰を断念した折に祖国のロシアへ向かう飛行機の中で自ら髷を切ったが、極めて薄毛であったために素手で引っこ抜いたという。同時に解雇された実兄の元小結・露鵬も同様に公的な断髪式は行ったとされていない。 2009年1月30日に乾燥大麻16グラムを所持していたとして大麻取締法違反(所持)の現行犯で神奈川県警察薬物銃器対策課に逮捕され、2月4日付で解雇された若麒麟は、その後2月20日付で起訴され、4月22日に懲役10ヶ月執行猶予3年の判決が確定したが、4月13日の初公判には丸刈りで出廷した。その間、公的な断髪式は行わず、保釈直後に自主的に断髪したとされる。 2011年の大相撲八百長問題で職務停止2年の処分を受けた元幕内・春日錦(当時は既に引退して年寄・竹縄)は、処分決定後退職届を提出し、同年5月1日に断髪式を行う予定だったがこれを固辞し、自ら理髪店に赴き髷を切った。同様に引退勧告を受けた元幕内・市原(引退時は清瀬海)及び元十両・保志光も公的な断髪式を行ったことは確認できていない。 元関脇・阿覧は健康上の問題で限界を悟って2013年9月場所出場を最後に同年10月8日付で引退したが、三保ヶ関部屋関係者以外には全くと言っていいほど引退を知らせておらず、その影響からか公的な断髪式は行わず、自主的に髷を落として帰国した。引退届の提出からわずか2日後に断髪して帰国まで済ませたという極めて一連の動きが手早い例であった。 元幕内・大砂嵐は2018年1月3日に自動車事故を起こした件について、日本相撲協会及び師匠大竜忠博への報告を怠ったこと、有効な国際運転免許証が失効していたこと、発覚当初に虚偽の説明をしていたことなどの悪質性を受けて、同年3月9日に日本相撲協会より引退勧告の処分が下され、即日引退を表明した。同年3月29日には師匠が大砂嵐の断髪式を行わない意向を明かし、その意向通り、同年4月1日未明にTBSで放送された『オールスター後夜祭』に『ガチ相撲トーナメント』のサプライズ出場者として出演した際には、既に自主的に断髪を済ませていたと見られ、頭髪をスキンヘッドにして髭を蓄えていた。 元十両・貴ノ富士は2019年9月場所直前に付け人へ暴行を加えた件について、2018年3月場所8日目にも同様の暴行問題を起こし2回目であること、暴行の他に差別的な発言もしていたことを重く視た日本相撲協会コンプライアンス委員会及び師匠隆三杉太一は処分が下る前に自主的に引退届を提出するように貴ノ富士に促した。しかし貴ノ富士自身は当初はこれを不服として代理人弁護士を伴い文部科学省で記者会見を開いたものの、最終的には係争を断念し2019年10月11日付で引退届を提出。11月16日には貴ノ富士の断髪式を行わないことを師匠が明らかにした。その間、貴ノ富士は理髪店で散髪をして、断髪した髪をヘアドネーションのNPO法人に寄付したという。 元十両・木﨑海は2020年1月場所での負傷に起因する慢性的な首の痛みを理由に、中途半端な状態で相撲を取るべきではないと判断した上で、同年8月27日付で引退届を提出、即日受理された。新型コロナウイルス感染症拡大防止を目的としたイベント収容人数制限の影響により当初より未定であった断髪式は公的に実施されず、2021年2月9日にYouTube「しんのすけチャンネル」を開始した際には短髪になっており、その間に自主的に断髪を済ませていたと見られる。
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