引退と慈善活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/15 22:13 UTC 版)
「ウィリアム・ギブズ (実業家)」の記事における「引退と慈善活動」の解説
1843年、ウィリアムの甥であるヘンリー・ハックス・ギブズ(英語版)(後のオールデナム男爵)が事業に加わり、年を重ねる毎に事業により深く関わるようになってきた。ウィリアムが1858年に引退した後、彼はハックス・ギブズを後継者に据え、自身は死去まで "Prior" chairman(会長、社長などの意味)の任を務めた。ウィリアムの遺言では、ハックス・ギブズとの共同事業で得た自身の財産の大半を彼に譲るとしており、これは事業継続の後ろ添えとなったほかオールデナム男爵家に経営権が移るきっかけとなった。 オックスフォード運動の著名な支援者であったウィリアムは、事業から引退した後、主に宗教的な慈善活動に数多く関わった。彼は12の教会建設など、以下に示すようなプロジェクトに参加している。 キーブル・カレッジ (オックスフォード大学)、教会堂ならびに講堂 – ウィリアムはこの2つの建設において費用の大半を援助した。デザインはティンツフィールドに設置された教会堂の初期デザインを担当したウィリアム・バターフィールド(英語版)が行っており、このため2つの教会堂はデザインや大きさの点でよく似ている。 聖ミカエルと全天使教会 (エクセター)(英語版) – この教会の司祭だったジョゼフ・トイ(英: The Reverend Joseph Toye)から要請を受けた後、ウィリアムはディナム山(英: Mount Dinham)への教会建設を支援して教会の拡張計画へ大いに資金提供した。ウィリアムの死後、教区は彼を讃える記念碑を作り、現在でも教会に残されている。 セント・アントニー・カウリー(英: St. Antony Cowley) – 両親を偲んで、かなりの額を出資し建築を支援した。 セント・アンドルー・エクスウィック(英: St. Andrew Exwick) – 1872年に行われた教会の拡張工事に出資している。教区の分割を行うため土地が買い取られた際には、ウィリアムが住み良い司祭館の建設に資金提供している。最初の司祭は彼の甥ウィリアム・コバム・ギブズ(英: Rev. William Cobham Gibbs)で、次の司祭も甥ジョン・ロマックス・ギブズ(英: Rev. John Lomax Gibbs)だった。
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