引退と映画出演
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/28 04:58 UTC 版)
「スタニスラウス・ズビシュコ」の記事における「引退と映画出演」の解説
1928年、18年前に行われた試合の再戦としてグレート・ガマと対戦するというオファーを有利な条件で受けた。両者はそのころにはそれなりの年齢に達していたが、試合には60,000人のファンが集まり、ファンはガマがわずか40秒でスタニラウスを倒すのを目撃することになる。その後、スタニラウスは南米で引退し、積極的にレスリングの才能あるものをスカウトしていった。そこで彼は、フットボーラー、ラグビープレーヤー、ボクサーでレスラーかつアクロバティック体操選手のアントニオ・ロッカをスカウトし、ロッカはプロレス界の最大のスターの1人に成長していった。ミズーリ州の農場から将来伝説の選手となっていったジョニー・バレンタインとハーリー・レイスも見い出し鍛え上げた。 1950年には映画「街の野獣」 に元プロレスラー役で出演。この映画の重要な役割がグレコローマン・レスリングの伝説的レスラーであると判断していたジュールズ・ダッシン監督は、この役はスタニラウスが適任であると確信し、「俳優を選んでレスラーになるように訓練したくなかった。私は反対のことをしたかった」「彼(スタニラウス)は死んだと言われていたが、実は健在で、ニュージャージーで鶏肉農家をやっていたことがわかった」と語った。スタニラウスは優雅な岩層のように見えて「美しく、文化的で、多言語を操る男」であることも判明したという。 晩年のスタニラウスは、自身が映画で演じたキャラクターのように、業界がショーマンシップの色合いを強めていったことについては不平を述べていたという。
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