引退と再生
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/21 01:35 UTC 版)
1970年代にイスラエルは、タル将軍を中心に悲願の国産戦車の開発に着手した。当然ながらその設計はショットを手本に行われることとなり、最初のプロトタイプはショットを改造して製作された。中空装甲を兼ねた収納スペースやサイドスカート、ホルストマンサスペンションなどを踏襲し、そこにエンジンの前方配置など独自の工夫を加えて国産戦車メルカバが完成した。 メルカバの登場により主力戦車の地位を譲ったものの、ショットは、HEAT弾対策としてマガフと同様に新開発のブレーザー爆発反応装甲(ERA)を砲塔と車体に装着し、スモークディスチャージャー(発煙弾発射機)も砲塔に装備された。主砲防盾上部のサーチライト用マウントに遠隔操作式の12.7mm M2重機関銃を装備すると共に砲塔上部の車長用キューポラと装填手用ハッチに1挺ずつの7.62mm FN MAG機関銃と砲塔右側面部に60mm迫撃砲を搭載して対人戦闘力を強化し、2度のレバノン内戦への介入(1978年のリタニ作戦と1982年のガリラヤの平和作戦)に参加した。 この作戦を最後に、ショットは現役を退き予備役戦車の地位もマガフに譲っているが、対戦車兵器や地雷への防御力が高い点などを買われ、砲塔を撤去した上でナグマショット/ナグマホン/ナクパドン装甲兵員輸送車やプーマ戦闘工兵車などに改修されて未だに第一線で運用が続けられており、2006年のレバノン侵攻に投入された。
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