引退とプロデューサーとしての復帰
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/20 07:41 UTC 版)
「クランシー・エクルズ」の記事における「引退とプロデューサーとしての復帰」の解説
しかし、この時期音楽で生計を立てることが出来なくなったエクルズは、1965年に音楽業界を離れ、セント・メアリー教区アノット・ベイで仕立て屋を始めた。音楽業界とのつながりを活かし、ケス・チン、マイティ・ヴァイキングス、バイロン・リー&ザ・ドラゴネアーズ、カルロス・マルコム、ブルース・バスターズなどのステージ衣装制作を請け負った。 丁度ロックステディからレゲエの時代に移りつつあった1967年、エクルズは音楽業界に復帰し、自身や仲間のアーティストの楽曲をプロデュースした。エクルズ自身の「Feel The Rhythm」や、エクルズが作曲したエリック・モンティ・モリスの「Say What You're Saying」がヒット曲となった。 エクルズはまた、「ストレゲエ (streggae)」 という当時キングストンで流行していたスラングから「レゲエ」という言葉を生み出した人物とも言われている。 1968年、イギリスのパマ・レコーズから発表されたエクルズの「What Will Your Mama Say」や「Fattie Fattie」はイギリスのスキンヘッズ達の間で流行した。この時期エクルズはDJのキング・スティットの「Fire Corner」、「Van Cleef」や「Herbman Shuffle」をプロデュースした。これはゴッドファーザー・オブ・DJの異名を持つU・ロイのレコードデビューに1年先駆けていた。 この時期のエクルズはまた、自らがリーダーを務めるセッション・バンドのダイナマイツ とともにウィンストン・ライトのオルガンがリードを取るインストゥルメンタルを数多く制作した。1970年には「Herbman Shuffle」のダブ・ヴァージョンである「Phantom」を発表した。 エクルズは自身の作品をイギリスで発表するため、トロージャンのサブ・レーベルとして「クランストーン (Clanstone)」、「ニュー・ビート」、「クランディスク (Clandisc)」を立ち上げた。これらのレーベルでエクルズはアルトン・エリス、ジョー・ヒッグス、ラリー・マーシャル、ヘムスレー・モリス、アール・ローレンス、ベルトーンズ、グレン・リックス、シンシア・リチャーズ、バスター・ブラウン、ベレス・ハモンドや、トリニダード・トバゴのカリプソニアンのロード・クリエーター「Kingston Town」をプロデュースした。 エクルズの公正さと音楽センスは信頼を集め、1968年にリー・ペリーがコクソン・ドッドの下を離れて自身のレーベル、アップセッターを立ち上げた際や、プロデューサーのウィンストン・ナイニー・ホルムズが自身初のヒット曲「Blood & Fire」を制作することを助けた。
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