事故前日まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/09 14:04 UTC 版)
「グレート・ノーザン鉄道ウェリントン雪崩事故」の記事における「事故前日まで」の解説
グレート・ノーザン鉄道は、ジェームズ・ジェローム・ヒルによって競合するノーザン・パシフィック鉄道のさらに北を走る大陸横断鉄道として建設が行われ、1893年1月に全通した。この事故の起こった路線はワシントン州のスポケーンからシアトルに至る部分(約500キロメートル)で、ワシントン州シェラン郡とキング郡の境にあるスティーヴンス峠(Stevens Pass)でカスケード山脈を横断していた。ウェリントンはスティーヴンス峠を貫通するカスケードトンネル西側出口の最寄駅として、1893年に建設されていた。 1910年は雪の多い年で、スティーヴンス峠一帯は豪雪に見舞われていた。2月21日に突然ものすごい吹雪が始まって1時間当たり30センチメートルも積もり、一晩中降雪が続いた。翌日も降雪の勢いは衰えず、鉄道保線の係員は線路の雪をどけるのが精いっぱいであった。 2月23日、この日は風が強く、気温も下がった。第25列車(5両編成)はワシントン州シェラン郡のレヴェンワース(Leavenworth)という町に到着し、第27郵便列車とともに除雪作業待ちで数時間停車した。同日遅く、2つの列車はカスケード・トンネル入り口でまた停車した。トンネルの入り口に烈風を原因とする雪の吹き溜まりができていた上に、電気回線まで故障していた。吹き溜まりの除雪に1日を費やした上、除雪中に降り積もった雪に埋められた列車を掘り出すのに数時間かかった。この日はカスケード山脈一帯で雪崩が数カ所で発生し、数人の犠牲者が記録されている。 2月24日も暴風は治まることなく、しかも非常に寒い日で、雪崩の発生回数も増えていた。第25列車と第27郵便列車は夜の8時頃にようやく動き出したが、カスケード・トンネル西口から約4キロメートル離れたところにあるウェリントンの街を約400メートル過ぎた地点で、またもや停車させられた。2列車は、ウェリントン駅西側にある待避線に並行して停車した。この地点では、降り積もった雪のせいで電柱の頭部分のみが辛うじて出ている状態だった上、厚さ8メートル、幅300メートルにも及ぶ大雪崩があったためにここから先の線路はまだ除雪されていなかった。この夜、上方にある滝付近から幅17.8メートルの小規模な雪崩が発生し、線路を乗り越えて炊事用の仮小屋を巻き込んで下方を流れるタイ川(Tye River)の峡谷に落ちた。この雪崩によって死者が2人出たが、仮小屋では24日当日に乗客55名が食事を3回摂っていたのだった。 2月25日、この日も吹雪と寒さが続き、ウェリントンでの積雪は3.7メートルに達していた。乗客はウェリントンの街まで出てホテルに赴き、そこで食事を摂った。乗客のうち何人かはウェリントンの駅で電報を打電した。列車の遅れに、乗客はいら立ちを募らせていた。この日の午後遅く、ロータリー車が翌日朝までに除雪するとの連絡が入り、車掌はこの知らせをすぐに列車内に伝えた。乗客は車掌に「なぜ列車をトンネルにバックさせないのか」と質問したが、車掌は今停車している地点が最も安全だと説明した。 2月26日も時折にわか雪が降り、1時間当たり30センチメートルの降雪が計測された。雪の吹き溜まりが6メートル以上の深さに達したところもあり、雪崩の発生音が時折聞こえ、夜になると風が激しくなった。列車は依然動くことができず、雪崩に挟まれたような状態のため前にも後にも進めなくなっていた。ロータリー車が除雪してもまた雪崩で埋められてしまうありさまで、ついには1台のロータリー車が前後を雪崩の挟み撃ちにあって動けなくなってしまった。乗客の1人が「安全なトンネルに列車を入れろ」と主張すれば、別の1人が「雪で入り口をふさがれたら煤煙で息が詰まる」などと反対する始末であった。午後になると、電信まで不通になった。乗務員たちは5日間も降りつのる雪と格闘して疲労困憊し、除雪作業は限界に来ていた。乗客の代表が、鉄道側の監督に「列車をトンネルあるいはトンネル近くの引き込み線に入れよ」と要求したが、監督はこの要求を拒絶した。拒絶の理由として、トンネル内の寒さと湿気及び煤煙の問題などがあった。トンネルの内部は両側に水が流れているため歩けないし、ウェリントンのホテルから食事を届けることもできない。トンネル近くの引き込み線上部の斜面はむしろ険しいので、現在地の方が安全だしロータリー車の救援も出ていると監督は乗客たちの説得に努めた。 2月27日、天候はまた悪化してこの年最後の大荒れとなった。この日はたまたま日曜日に当たり、第25列車に乗り合わせていた神父が乗客を集めてミサを執り行った。このミサによって、あまりの列車の遅れに苛立っていた乗客の感情もいくらか和らいだという。この日の朝のうちに鉄道側の監督は鉄道員2名とともにウェリントンの西約14キロメートルにあるシーニック(Scenic)という小さな町に徒歩で出発し、直後に乗客5名も後を追った。途中で鉄道員のうち1名が雪崩に遭遇して約300メートル以上も流される事故に遭ったが幸いにして命に別状はなく、この時は全員シーニックに辿り着くことができた。 ウェリントンにいる労働者たちは、賃金割増が認められなかったため作業を拒否してストライキに入った。ウェリントンの東側で雪に閉じ込められて動きのとれなくなったロータリー車の機関士たちは、18キロメートルに及ぶ雪道を歩いてウェリントンに辿り着いた。機関士たちはウェリントンへの途中で、至るところで雪崩の現場を見たことを報告した。午後になると、乗客たちの耳に発生頻度を増した雪崩の轟音が響くようになった。乗客の1人も煙草を購入するためにウェリントンのホテルまで出かけたが、雪崩がまさに発生する瞬間を目撃して大きなショックを受けた。この日遅くに、雪はみぞれに変わって薄く積もった。 2月28日は、列車が待避線に停まってから4日目の日であった。乗客のうち7名と鉄道員4名が、シーニックに向かって出発した。気温は上がり、みぞれが夜半まで降り続いた。乗客たちは寒波が去ったと考えて、この天候の変化を喜んでいた。夜になると嵐はやんで、暖かく湿った西南風が吹き始め、やがて雨に変わった。この時点で雪の吹き溜まりは、場所によって7メートルの深さに達していた。
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