事故前後のAの行動と推察
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/01 04:09 UTC 版)
「モロ・キャッスル号火災事故」の記事における「事故前後のAの行動と推察」の解説
1934年3月にAは次席一等通信士としてモロ・キャッスル号に乗り組み、上司を追い出して自身が通信長になることに成功した。そして事故前に発生した中毒事件や火災がAの仕業と船長が疑っていることを知り、以前、結婚していた時に些細な事から妻と喧嘩した際に妻の愛犬を毒殺した毒薬を使って船長を毒殺したと警部は推察した。更にAは証拠隠滅のため寄港したハバナで硫酸を入手して通信室の棚に持ち込み、更に火薬が船客執筆室の天井に移動されることを知った。そして事故当日の午前0時、Aは当直を交代したのを機に無線室を20分ほど姿を消している。Aが警部に語ったところによるとこの間に船客執筆室に入り、インクの代わりに硫酸を入れた万年筆をロッカーに掛けていたウエイターの制服の内ポケットに仕込んだ。やがて硫酸は万年筆に使われている銅を溶かしてロッカーに入っていた可燃物に接触し発火に至ったと考えられている。なお、火災により通信室が使用不能となった後、Aは船首で懐中電灯を使って発光信号を送っていたことが評価されており、その表彰パーテイでモロ・キャッスル号の生存者と出逢い、生存者の紹介で警察官になっていた。
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