事故原因についての議論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/23 04:20 UTC 版)
「アイルトン・セナの死」の記事における「事故原因についての議論」の解説
セナの死亡事故について、イタリアの裁判所は「セナの希望によりステアリング位置を調節するため、メカニックがステアリングシャフトを切断して溶接し直したが、それが不完全だったため、走行中にその部分で破断・操縦不能になった」と認定し、これが事故原因に関する公式見解となっている。しかし、この見解については疑問を抱く者も少なからず存在し、議論の対象となっている。事故直前の車載映像には、セナがステアリングを左に切るものの、路面の舗装が変わる部分で突然車両がグリップを失い、そのままコンクリートウォールに激突する映像が残っている。「激しい底打ち(ボトミング)によりダウンフォースが失われた」「パワーステアリングが故障したため操縦不能になった」という説など諸説語られたが、事故原因の確定的な結論には至っていない。 運転ミスウィリアムズのパトリック・ヘッドは、セナが運転ミスを犯したことを示唆した。ヘッドはレース後、ミハエル・シューマッハから事故の前の周にセナの車が「神経質」な動きをしていたと聞いており、それがセナのミスを信じる根拠になった。日本の1994年シーズンのF1中継では、サンマリノグランプリのリスタート前、シューマッハとヒルの2人がセナの車が底打ちしていたことをジェスチャーで示す様子が放送された 。デイモン・ヒルは、持論としてステアリングシャフトの破断が原因という見解について疑問を呈しており、セナ自身の運転ミスなどが原因と語った。 タイヤのパンクセナの車を設計したエイドリアン・ニューウェイは、ステアリングコラムの破断と事故との因果関係を否定しており、レーススタート直後にJ・J・レートとペドロ・ラミーによる大事故で生じたマシンの破片の除去が不十分であり、破片による影響でタイヤがパンクしセナをクラッシュに追い込んだ可能性を示している。 セーフティカー F1において1992年にルールが制定され、1993年から運用され始めたセーフティカーが事故の一因とする説もある。 決勝のスタート直後、ペドロ・ラミーがJ.J.レートの車に衝突による事故を受け、オフィシャルの判断により、 マックス・アンジェレッリが運転するセーフティカー(オペル・ベクトラ)がコースに導入された。当時は各サーキットで用意していたものを使用していたため、サーキットによって保有する車両の性能に差があった。そのため、セーフティカーの性能が低い場合、後続のF1カーに乗るドライバーは遅いセーフティカーのペースに付き合わされるため、タイヤの温度低下を最小限に抑えることに苦労するなどの問題が生じることがあった。現在においてもセーフティカーの時間が長期化した場合、タイヤの温度低下が避けられないという問題の解消には至っていない。この場合、オペル・ベクトラはファミリーカーであり、高速走行が難しい車両であった。実際、車列の先頭にいたセナはセーフティカーに並びかけ、速度を上げるようアンジェレリにジェスチャーで要求するなど、タイヤの温度低下が発生していることを示唆していた。後にこの車両はセーフティカーの任務には不適格であり、競技車両のタイヤ空気圧の低下を引き起こした可能性があると指摘された 実際、1995年のポルトガルグランプリでは決勝のスタート直後に片山右京のマシンが数回転する大クラッシュが発生した際や1998年のフランスグランプリでは1台がマシントラブルでスタートできなかったことによるシグナルの点滅ミスの際は赤旗が振られており、後年の出来事とはいえ、これらでは赤旗が躊躇なく振られたのに対し、この時は黄旗のセーフティカーという判断について疑問視されている。 精神的ストレス元F1ドライバーのネルソン・ピケは、死の直前の時期のセナはプレッシャーに晒されており、精神的ストレスを抱えていたと語った。1994年、セナはモデルのアドリアーネ・ガリステウと1年にわたって交際していた。サンマリノグランプリの週末、アドリアーネはポルトガルにいたが、セナの元交際相手シューシャ(英語版)がイモラまでやって来て、セナにアドリアーネとの関係を断って自分とよりを戻すよう説得していた。弟のレオナルドが事故の数日前にセナにわたしたカセットテープには、アドリアーネが彼女の元交際相手と会話している様子が録音されていたと言われている。これらの状況と、バリチェロの事故、およびラッツェンバーガーの死が重なったことでセナは大きなストレスを受けていた可能性があり、事故の数分前のグリッド上でもセナは憔悴した姿を見せていた。アラン・プロストはドキュメンタリー映画『アイルトン・セナ ~音速の彼方へ』に出演した際、サンマリノグランプリの2週間前とレース当日の2回、事故前のセナに会ったが、両方の機会でセナがどこかおかしいことを感じていたと語った。事故後、自殺の可能性を唱える説も国際的な報道上に現れたが、それらの説はただちに除外された。 マシンの異常を察知しつつ走り続けたイタリア検察当局から事故調査の依頼を受け、ステアリングコラム破断の結論を出した調査委員会の代表であるマウロ・フォルギエリは、TVインタビューに個人的な意見として事故について述べている。 椅子に座りステアリングを握る格好をしながらフォルギエリは、「もし君が車を運転していて、その車が何かおかしい普通じゃないと感じたらどうする?」そう言いながら身体を上下に揺すって見せ、「そう車を止めるだろう?」と見解を示している。つまりFW16のステアリングコラムは、突如として壊れたのではなく徐々に破断したものでありステアリングが上下に揺れるなど予兆はあった。それに加えてセーフティカー介入により強いられた低速走行でタイヤの内圧が減少し発生したマシンの車高低下。その為の路面との底付き。この二つをマシンをドライブしているセナが気がつかない訳がなく、車体が異常をきたしているのにも構わず走行し続けたのだろうという事に暗に疑問を呈している。
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