主な活動歴と関連事項
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1945年(昭和20年) 供養塔地鎮祭(10月25日) 1946年(昭和21年) 供養塔完成(9月23日) 1957年(昭和32年) 八七会結成(8月7日)。供養塔「由来碑」建立(8月7日) 1965年(昭和40年) 工廠神社跡地に「平和の像」建立 (8月1日完成、17日除幕式)。「平和の像由来記」(銅板製)設置(8月)1962年(昭和37年)には金沢市卯辰山山頂に「殉難おとめの像」が建立された。同年8月18日八七会員が金沢市を訪れ慰霊祭を行った。これを機に豊川市に平和の像建立の委員会(平和之像建設委員会)を結成、募金活動により1,300万円を集め、豊川公園の一角(元工廠神社前)に「平和の像」を建立した。像は彫刻家矩幸成(かねこうせい、金沢美術工芸大学教授)の作で、1965年(昭和40年)8月1日完成、陸上自衛隊豊川駐屯部隊の協力を得て北陸道、東海道をパレード、途中沿道の県庁、市役所にも立ち寄り、8月3日現地に到着した。。 1978年(昭和53年) 供養塔前灯篭2基制作(12月) 1982年(昭和57年) 供養塔由来再建(8月7日) 1983年(昭和58年) 由来記念碑再建(8月7日)「平和の像」の銅板製の由来記が腐食してきたため、御影石の由来記念碑を建立 1985年(昭和60年) 供養塔前に石塔(「豊川海軍工廠戦没者供養塔」)建立(8月) 1986年(昭和61年) 韓国人戦没者の遺族・同僚7名を招待。この年より慰霊祭を供養塔前で実施 1987年(昭和62年) 「豊川空襲殉職者名鑑」出版(8月7日) 1989年(平成元年) 工廠戦没者県別地図石碑建立(8月7日) 1991年(平成3年)「工廠歌」テープ作成(伊藤陽扇家元)(7月) 1992年(平成4年) 豊川海軍工廠火工部跡地調査(3月)、ビデオ記録映画『語り継ぐ豊川海軍工廠大空襲』の作成(4月1日)。慰霊碑(地域別戦没者数刻入碑)建立(除幕式12月30日)3月、名古屋大学太陽地球研究所敷地内を調査し、火薬庫、火薬装填場などの施設が幅広く残っていることを確認した。防空壕や着弾跡も確認された。この結果を元にビデオ記録映画が作成され、また、空襲50周年の「豊川海軍工廠の記録」にもまとめられた。 1993年(平成5年) 「あぁ豊川海軍工廠女子挺身隊」テープ作成(伊藤陽扇家元) 1994年(平成6年) 沖縄県ひめゆり平和祈念資料館を訪問。慰霊参拝とともにひめゆり同窓会との交流。(12月) 1995年(平成7年)「豊川海軍工廠の記録」(被爆50周年)発行(8月7日)発足以来、毎年8月7日の慰霊祭には全国各地から生存者や遺族が集まっていた。この年の慰霊祭案内状は約5,000通発送された。これがピークとなった。 1996年(平成8年) 豊川市まちづくり委員会より、平成7年度の文化奨励賞を贈呈される。「豊川海軍工廠の残された資料収集や保存に努め、空襲50周年を記念した『豊川海軍工廠の記録』を発行するなどの記録保存活動が評価された。 2005年(平成17年) 慰霊祭の縮小(8月7日)この年に発送した慰霊祭の案内状4,500通の内1,200通は遺族宛であった。この年の慰霊祭を最後に、以後は従前より豊川市が主催していた「平和祈念式典」に引き継がれることとなった。 2012年(平成24年) 豊川稲荷豊川閣妙厳寺に永代供養料奉納 2015年(平成27年)「豊川海軍工廠の記録」(被爆70周年)第二刷復刻改訂版発行(8月7日) 2018年(平成30年) 豊川海軍工廠平和公園開園(6月9日) 2019年(令和元年) 豊川市より感謝状を贈呈される(6月1日)。 2020年(令和2年) 豊川市より表彰状を授与される(6月1日)。供養塔の整備、活動終了(8月7日)。
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