中宮宣旨
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/09 09:33 UTC 版)
中宮宣旨は、天皇の正妃である中宮に仕える宣旨である。皇后や、正妃としての皇太后もここに含まれる。天皇付きの女房を「上の女房」(公的な官職である後宮十二司を含む)と言うのに対し、中宮付きの女房を「宮の女房」と言い、宮の女房の筆頭が中宮宣旨である。宮の女房は、中宮の実家の父が選ぶことが多かった。 中宮宣旨の出自は、上級貴族である公卿の娘であることがほとんどである。仕える中宮の姉妹である場合もあり、円融天皇皇后藤原遵子の中宮宣旨は姉の詮子が務め、円融天皇皇太后藤原詮子(前記の詮子とは別人)の中宮宣旨は自身の異母姉妹が務めた。公卿の娘の場合は、後ろ盾となる父が薨去した女性が、中宮宣旨として入る場合が多い。中宮の幼少期からの乳母が宣旨に昇格した場合もあるが、どちらかといえば中宮と同世代の女性であることが多い。 主人の中宮が流産・崩御など非常事態にあった時は、その代行として指示や命令を伝達し、また善後策を講じるなど、高い職責を有した。後一条天皇中宮藤原威子が流産した際には、二条院宣旨は後一条典侍の藤三位を呼んで二人で緊急の対応を協議しており(『左経記』長元8年(1035年)6月23日条)、天皇側の典侍・掌侍と職務が基本的に重なることを示している。宣旨(貴人の口頭命令)の名の通り、中宮の命令系統を代理で司る立場であり、二条院宣旨は威子の命を取り次いで、歌人の出羽弁に出仕を促す文章を書くなどしている。また、中宮の顔であり、渉外役も担当した。 教養も非常に高く、様々な歌集・歴史物語・日記に中宮宣旨の歌が残っている。宇多天皇皇太夫人の藤原温子の宣旨は、部下の伊勢との贈答歌が勅撰和歌集『後撰和歌集』に入集。一条天皇中宮の藤原彰子の宣旨だった源陟子は、和泉式部が彰子に贈った歌に対し、彰子に代わって返歌を詠んでいる(『栄花物語』巻15)。中宮の藤原妍子に仕えた大和宣旨は、勅撰集『後拾遺和歌集』などに名を残す勅撰歌人である。二条院宣旨は、勅撰歌人である出羽弁に出仕を促す歌を、主君の威子のために代詠している。後醍醐天皇中宮の西園寺禧子に仕えた二条藤子も、二条派当主の二条為定の姉妹であり、『続千載和歌集』などに入集した勅撰歌人である。 宮中の花形であることから、恋愛対象としても高嶺の花だった。円融天皇中宮の藤原媓子の異母弟で勅撰歌人でもある公卿藤原朝光は、媓子の宣旨に恋文と歌を贈ったが、返歌も来ず、あっけなく振られている(『朝光集』28および29)。藤原彰子中宮宣旨の源陟子は、部下だった紫式部から美貌を称えられたほどで(『紫式部日記』)、中古三十六歌仙の公卿藤原定頼も陟子に言い寄ったが、やはり振られている(『定頼集』134)。三条天皇中宮の藤原妍子に仕えた大和宣旨も当時の著名人との恋歌が多く残っている。後醍醐中宮の西園寺禧子に仕えた二条藤子は、後醍醐から禧子・阿野廉子に次ぐ寵愛を受け(『増鏡』「久米のさら山」)、征西大将軍懐良親王(日本国王良懐)をもうけ、三位に叙されている。 鈴木織恵によれば、中宮宣旨は婚姻が忌避されておらず、既婚者のまま働き続ける者も多かったという。たとえば、藤原妍子に仕えた大和宣旨は、次男の観尊を中宮宣旨在職中にもうけており、妊娠・出産してから職場に復帰することも広く認められていた。 主君が中宮を辞して皇太后や女院となった後も仕え続けることがほとんどだった。主君が出家した場合や崩御した場合には、自身も殉じて出家する場合も多かった。また、主君の子に仕える場合もあった。 鈴木によれば、平安時代の「宮の女房」の序列については、11世紀半ばから11世紀末にかけて、中宮御匣殿が首位になり、中宮宣旨は第二位として扱われるようになったという。これは、宣旨が名誉職化して出仕しない者も多くなると、御匣殿が事実上の長となったため、日給簡(出仕したかどうかの記録)に記されない宣旨の地位が徐々に落ちてきて、名誉職という意識もやがて薄れて地位が逆転したのではないか、という。鎌倉時代の中宮宣旨がどのような序列だったのかは不明。
※この「中宮宣旨」の解説は、「宣旨 (役職)」の解説の一部です。
「中宮宣旨」を含む「宣旨 (役職)」の記事については、「宣旨 (役職)」の概要を参照ください。
中宮宣旨
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/09 09:33 UTC 版)
藤原詮子(藤原頼忠女) - 藤原遵子(円融天皇皇后)、円融皇太后の詮子とは別人。 名称不明(藤原兼家女) - 藤原詮子(円融天皇皇太后) 源陟子(源伊陟女) - 藤原彰子(一条天皇中宮) 大和宣旨(平惟仲女) - 藤原妍子(三条天皇中宮) 式部宣旨(出自不明) - 藤原娍子(三条天皇皇后) 二条院宣旨(出自不明) - 藤原威子(後一条天皇中宮) 名称不明(源憲定女) - 藤原嫄子(後朱雀天皇中宮) 二条院宣旨(出自不明) - 章子内親王(後冷泉天皇中宮) 名称不明(源道方女) - 藤原寛子(後冷泉天皇皇后) 二条藤子(二条為道女) - 西園寺禧子(後醍醐天皇中宮)
※この「中宮宣旨」の解説は、「宣旨 (役職)」の解説の一部です。
「中宮宣旨」を含む「宣旨 (役職)」の記事については、「宣旨 (役職)」の概要を参照ください。
- 中宮宣旨のページへのリンク