ロシア帝国の軍服
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「軍服 (ロシア・ソ連)」の記事における「ロシア帝国の軍服」の解説
ピョートル1世の時代に大規模な軍制刷新が図られると、新たな制服の導入も行われる事となった。ハンガリー風にするかフランス風にするかで議論が分かれたが、より西欧的なフランス1661年制式風の軍服を導入した。1702年にはドイツ式となる。1796年にはナポレオンジャケットとなるが、1802年以降プロイセン風のフロックコートとなる。1881年以降、前合わせの広いボタンレスとなるがその後徐々にボタンが復活。色は近衛騎兵を除き一貫して「ツァーリ・グリーン」あるいは「海の波」と呼ばれる深緑色で統一された。また、コサックは主にカフカス諸民族の伝統的衣装であるチョハ(チェルケスカとも)を着用するが、一部では常備軍と同じ軍服を着用するところもある。 歩兵・擲弾兵・戦列歩兵共通で、鉢巻と襟には連隊色が、肩章には旅団色と師団番号が示される。連隊名に王侯の名前が付く部隊は肩章に冠とイニシャルが入る。 1907年以降、国際的潮流に合わせ全兵科共通でカーキ色シングルブレストの詰襟となる。将校は胸に2点ポケット、下士官兵はボタンなしだが、古参兵など好んで将校風の仕立てを好むものもいた。1914年10月31日、野戦肩章が制定される。 近衛兵兵卒と士官(1727-1730) 散弾銃を携行する兵士(1720年代) 近衛胸甲騎兵連隊(ロシア語版)将兵(1731-1742) プレオブラジェンスキー近衛擲弾兵連隊(ロシア語版)将校制服。ドイツ風ボタンホールが入る。ピョートル3世の着用していたもの リャジスク第70歩兵連隊(ロシア語版)将校と軍楽兵 1820年代 近衛胸甲騎兵連隊兵士(ロシア語版)(1848年) ピッケルハウベを被った兵士(1862年) ミハイロフスキー砲兵学校生徒 擲弾兵将校(19世紀中ごろ) 礼装の歩兵大将、副将(1862年3月) リトアニア近衛連隊(ロシア語版)の兵士(左)と先任幕僚たる礼装の将校(右)。ケピ帽を被っている(1862年) イズマイロフスキー連隊下士官(左)と同じくリトアニア近衛連隊所属たる二等兵(右)(1872年) 槍騎兵(1869年) 近衛驃騎兵連隊長(ロシア語版)たる大佐(エヴクラフ・ダビドフ(英語版)、1809年) 近衛驃騎兵連隊参謀とフロドナ近衛驃騎兵連隊(ロシア語版)将校 将官用礼装 ディーン・サボティッチ(ロシア語版) 近衛驃騎兵連隊(1845年) 第三次露土戦争におけるロシア軍勢。将校(ミハイル・スコベレフ)は官帽、兵士はケピ帽を被っている。 ヒヴァ攻撃における兵卒。現地の気候に対応すべくゆったりとした白い防暑衣を着用しており、ケピ帽に帽垂れをつけている(1870年代) 同じく白い防暑衣を着用した将校。上衣はダブルとなっており、折襟であるように見える(1870年代) 1902年 プレオブラジェンスキー連隊ウーランカ 帝国近衛輸送隊(ロシア語版)のコサック(1911年) 騎兵第1連隊 近衛驃騎兵連隊(1895年) 冬季常服。アナトーリイ・ステッセリ 夏季常服。パーヴェル・ミシチェンコ ニコラエフ騎兵学校生徒(右はカール・グスタフ・エミール・マンネルヘイム、1887年~89年ごろ) 第25砲兵連隊曹長(1914年7月) 近衛猟兵連隊(ロシア語版)将兵(1913年) 略礼装将官。肩章はアレクサンドル2世エンブレムで、近衛第1擲弾兵連隊名誉連隊長と思われる。イラリオン・ヴォロンツォフ=ダシュコフ(英語版) オデッサ第10槍騎兵連隊(ロシア語版) インゲルマンランド第10驃騎兵連隊(ロシア語版)尉官 ドヴィンスキー第91歩兵連隊(ロシア語版)所属の兵(ロマン・ウンゲルン、1907年) 1907年制式キーチェリ サーベル佩用の大佐(1917年) 第一次世界大戦時の陸軍将校用ギムナスチョルカ、1916年。 将校用ギムナスチョルカの大佐。前合わせが兵用風となっている(1914年) 兵用ギムナスチョルカ着用の擲弾兵 ピロートカを被る航空兵たる砲兵曹長 上級軍曹。ギムナスチョルカは将校に近い作り。 キーチェリをギムナスチョルカに近い仕立てとしている。アレクセイ・カレージン ドン陸軍(ロシア語版)航空司令官たる白軍少将。肩章に航空徽章を付けている。 ドロズドフ軍団将官。アレクサンドル・クテポフ 第1中央シベリア軍団(ロシア語版)将官(アナトリー・ペペリャーエフ(ロシア語版)) 海軍大佐(ニコライ・ヤコブレフ(ロシア語版)1904年) 海軍将校服(夏季)の着用例(ボリス・ヴィリキツキー) 海軍提督。パーヴェル・ナヒーモフ。 水兵夏服(1912年8月) ロシアの軍服は第一次世界大戦前から、ロシア帝国を汎スラブ主義の盟主と仰いでいた東ヨーロッパのいくつかの国の軍服に影響を与えていた。例:ブルガリア、セルビア(第一次世界大戦後ユーゴスラビア王国となる)等。それは肩章で表される階級章のパターン(後述)に最も顕著に現れている。 ブルガリア国王フェルディナント1世 ブルガリア軍将官礼装 イスファンディヤル・ハン
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