ロシア帝国の軍服とは? わかりやすく解説

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ロシア帝国の軍服

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 01:22 UTC 版)

軍服 (ロシア・ソ連)」の記事における「ロシア帝国の軍服」の解説

ピョートル1世時代大規模な軍制刷新図られると、新たな制服導入行われる事となった。ハンガリー風にするかフランス風にするかで議論分かれたが、より西欧的なフランス1661年制式風の軍服導入した1702年にはドイツ式となる。1796年にはナポレオンジャケットとなるが、1802年以降プロイセン風のフロックコートとなる。1881年以降、前合わせの広いボタンレスとなるがその後徐々にボタン復活。色は近衛騎兵除き一貫して「ツァーリ・グリーン」あるいは「海の波」と呼ばれる深緑色統一された。また、コサックは主にカフカス諸民族伝統的衣装であるチョハ(チェルケスカとも)を着用するが、一部では常備軍と同じ軍服着用するところもある。 歩兵擲弾兵戦列歩兵共通で、鉢巻と襟には連隊色が、肩章には旅団色と師団番号示される連隊名に王侯の名前が付く部隊肩章に冠とイニシャルが入る。 1907年以降国際的潮流合わせ兵科共通でカーキ色シングルブレストの詰襟となる。将校は胸に2点ポケット下士官兵ボタンなしだが、古参兵など好んで将校風の仕立てを好むものもいた。1914年10月31日野戦肩章制定される近衛兵兵卒士官(1727-1730) 散弾銃携行する兵士1720年代近衛胸甲騎兵連隊ロシア語版将兵(1731-1742) プレオブラジェンスキー近衛擲弾兵連隊ロシア語版将校制服ドイツボタンホールが入る。ピョートル3世着用していたもの リャジスク70歩兵連隊ロシア語版将校軍楽1820年代 近衛胸甲騎兵連隊兵士ロシア語版)(1848年ピッケルハウベ被った兵士1862年ミハイロフスキー砲兵学校生徒 擲弾兵将校19世紀中ごろ礼装歩兵大将副将1862年3月リトアニア近衛連隊ロシア語版)の兵士(左)と先任幕僚たる礼装将校(右)。ケピ帽被っている(1862年イズマイロフスキー連隊下士官(左)と同じくリトアニア近衛連隊所属たる二等兵(右)(1872年槍騎兵1869年近衛驃騎兵連隊長ロシア語版)たる大佐(エヴクラフ・ダビドフ(英語版)、1809年近衛驃騎兵連隊参謀フロドナ近衛驃騎兵連隊ロシア語版将校 将官礼装 ディーン・サボティッチ(ロシア語版近衛驃騎兵連隊1845年第三次露土戦争におけるロシア軍勢。将校ミハイル・スコベレフ)は官帽兵士ケピ帽被っている。 ヒヴァ攻撃における兵卒現地気候に対応すべくゆったりとした白い防暑衣を着用しており、ケピ帽に帽垂れをつけている(1870年代同じく白い防暑衣を着用した将校上衣ダブルとなっており、折襟あるよう見える(1870年代1902年 プレオブラジェンスキー連隊ウーランカ 帝国近衛輸送隊ロシア語版)のコサック1911年騎兵第1連隊 近衛驃騎兵連隊1895年冬季常服アナトーリイ・ステッセリ 夏季常服パーヴェル・ミシチェンコ ニコラエフ騎兵学校生徒(右はカール・グスタフ・エミール・マンネルヘイム1887年89年ごろ) 第25砲兵連隊曹長1914年7月近衛猟兵連隊ロシア語版将兵1913年略礼装将官肩章アレクサンドル2世エンブレムで、近衛第1擲弾兵連隊名誉連隊長思われる。イラリオン・ヴォロンツォフ=ダシュコフ(英語版オデッサ10槍騎兵連隊ロシア語版インゲルマンランド10驃騎兵連隊ロシア語版尉官 ドヴィンスキー第91歩兵連隊ロシア語版所属の兵(ロマン・ウンゲルン1907年1907年制式キーチェリ サーベル佩用大佐1917年第一次世界大戦時陸軍将校用ギムナスチョルカ、1916年将校用ギムナスチョルカの大佐。前合わせが兵用風となっている(1914年) 兵用ギムナスチョルカ着用擲弾兵 ピロートカを被る航空兵たる砲兵曹長 上級軍曹。ギムナスチョルカは将校に近い作り。 キーチェリをギムナスチョルカに近い仕立てとしている。アレクセイ・カレージン ドン陸軍ロシア語版航空司令官たる白軍少将肩章航空徽章付けている。 ドロズドフ軍団将官アレクサンドル・クテポフ 第1中央シベリア軍団(ロシア語版将官(アナトリー・ペペリャーエフ(ロシア語版)) 海軍大佐(ニコライ・ヤコブレフ(ロシア語版1904年海軍将校服(夏季)の着用例ボリス・ヴィリキツキー海軍提督パーヴェル・ナヒーモフ水兵夏服1912年8月ロシア軍服第一次世界大戦前から、ロシア帝国汎スラブ主義盟主仰いでいた東ヨーロッパいくつかの国の軍服影響与えていた。例:ブルガリアセルビア第一次世界大戦後ユーゴスラビア王国となる)等。それは肩章表される階級章パターン後述)に最も顕著に現れている。 ブルガリア国王フェルディナント1世 ブルガリア軍将官礼装 イスファンディヤル・ハン

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