ロシア帝国以前と帝政期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 10:04 UTC 版)
「ルースキー・ミール」の記事における「ロシア帝国以前と帝政期」の解説
「ロシア世界」という用語の最も初期の使用の1つは、11世紀のキエフ大公イジャスラフ1世に帰せられる。イジャスラフ1世はローマ教皇クレメンス1世を称賛する中で、「彼の主人のタラントを増やす(英語版)忠実な奴隷への感謝を込めて - ローマにおいてのみならず、いかなる場所においても: ヘルソンでも、そしてロシア世界においても(ロシア語: с благодарностью тому верному рабу, который умножил талант своего господина - не только в Риме, но и повсюду: и в Херсоне, и еще в Русском мире)」と述べた。 16世紀、ロシアは自己完結的な世界として形作られた。知らず知らずに、ロシア世界も西洋世界と東洋世界/オリエントからの影響を吸収した。たとえ、その影響がロシア世界の発展の文脈においてかなり小さいものであったとしても。ツァーリの王座が意識的にロシアをヨーロッパ化しようと試みたのは17世紀、18世紀になってからであった。 ロシア帝国では、ロシア世界の思想は保守ナショナリズム的であった。ルースキー・キール基金(英語版)の代表ヴァチャスラフ・ニコノフ(英語版)は、ロシア世界はロシア固有のものを超えることはなかった、と述べた。ニコノフは、これらの時代[いつ?]、世界の人口の7分の1がロシア帝国に住んでいたが、現在は50分の1だ、と嘆いた。
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