ロシア帝国支配期のチェチェン
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「チェチェンの歴史」の記事における「ロシア帝国支配期のチェチェン」の解説
南カフカスのティフリス(現在のトビリシ)にカフカス総督府(英語版)[要リンク修正]をおいてカフカスへの支配を強めたロシアは、カフカスの諸民族が再び結集してロシアに抵抗することを恐れ、チェチェン人と、イングーシ人やチェルケス人などのほかのムスリム(イスラム教徒)主体の民族を分割して統治する政策を行った。 1850年代には石油が発見された。 1860年、ロシア帝国は、テレク州(ウラジカフカス)を中心に帝国の支配機構を導入し、チェチェン管区、イケチェリア管区、イングーシ管区、山岳地域管区(シャミールのイマーム国家の故地、タゲスタンのこと)を置いた。 一方、併合後もチェチェン人はナクシュバンディー教団を中心に結集し、ロシアへの抵抗を繰り返した。一部のチェチェン人はロシアの支配を逃れてオスマン帝国に移住し、その子孫はトルコやヨルダンに離散共同体を形成している。しかし、チェチェン人の抵抗にもかかわらずロシアのカフカス支配強化は進み、1890年代にはグロズヌイまでウラジカフカス鉄道(ロシア語版)(露: Владикавказская железная дорога、英: Vladikavkaz Railway)が敷設されて、グロズヌイを中心にチェチニヤでは石油産業が発達した。1917年のロシア革命とそれに続くロシア内戦ではチェチェン周辺に北カフカース山岳共和国や北コーカサス首長国が成立したがボルシェビキ(ソビエト)勢力に敗北し消滅した。
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