ロシア帝国の旅順要塞
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/23 21:25 UTC 版)
日清戦争後の下関条約では遼東半島は日本に割譲されたが、三国干渉の結果、清に返還された。代わってロシア帝国が清から遼東半島を租借すると、旅順はロシア帝国海軍の太平洋艦隊の基地として使用されることになった。旅順要塞もロシア陸軍の手によって機関銃の導入など大規模な強化が行われ、二竜山堡塁、松樹山堡塁、東鶏冠山北堡塁など強力な陣地が設置された。 日露戦争では再び日本軍の攻撃を受けて激戦地となり、旅順攻囲戦が発生した。なかでも203高地での戦闘が著名となった。4か月以上の戦闘の末に、1905年1月1日にロシア軍守備隊は降伏した。日本陸軍は旅順要塞司令部を設置し、日本海軍は旅順港に旅順鎮守府を設置した。
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