ボリス・ヴィリキツキーとは? わかりやすく解説

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ボリス・ヴィリキツキー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/17 15:42 UTC 版)

ボリス・アンドレーエヴィチ・ヴィリキツキー

ボリス・アンドレーエヴィチ・ヴィリキツキーロシア語: Борис Андреевич Вилькицкий英語: Boris Andreyevich Vilkitsky1885年3月22日(新暦4月3日) - 1961年3月6日))は、ロシア探検家測量師。父はアンドレイ・イッポリトヴィチ・ヴィリキツキー。

生涯

1908年サンクトペテルブルクの海軍士官学校を卒業。その前、1904年から1905年にかけての日露戦争に従軍している。1913年から1915年にかけて、北極海航路調査のため「タイミル」「ヴァイガチ」の二隻による北極探検を主導した。1913年、探検隊はセヴェルナヤ・ゼムリャ諸島を発見。これは当時の北極探検の中でもロシア随一の業績であった。その他、ヴィリキツキー島やマリー・タイミル島、その隣のスタロカドムスキー島も発見している。1914年から1915年には、探検隊はウラジオストクからアルハンゲリスクへの航路を開拓し、ジョホフ島を発見し、またセヴェルナヤ・ゼムリャ諸島の南海岸線を紹介した。

1918年ソビエト連邦初の海洋探検隊の隊長に任命されたものの、これは英仏らロシア革命干渉軍によるアルハンゲリスク占領(北ロシア出兵英語版)によって計画倒れに終わった。1920年イギリスに移住。1923年1924年には、ソ連の対外貿易機関の要請でカラ海における商業遠征を主導した。

後年、ベルギー領コンゴで水路測量技師に従事し、1961年ブリュッセルにおいて死去した。

記念

セヴェルナヤ・ゼムリャ諸島発見100周年を記念して、2013年にロシアで発行された切手

ロシアにおいて多くの地名に、彼の名前が残っている。

出典




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