ルマン挑戦とは? わかりやすく解説

ル・マン挑戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 03:25 UTC 版)

トヨタ自動車のモータースポーツ」の記事における「ル・マン挑戦」の解説

1975年昭和50年)にはシグマ・オートモーティブSARD前身)にエンジン供給しシグマ・MC-75ル・マン24時間レース参戦したまた、1973年マツダロータリーエンジン搭載したシグマ・MC-73リアウィングには「TOYOTA」のスポンサーロゴが書かれている1982年昭和57年)に世界耐久選手権WEC)の日本ラウンド (WEC-JAPAN) が初開催されると、童夢トムス共同開発したグループCカートムス童夢・セリカCWRCエンジンベースにした4気筒ターボエンジン供給した1983年昭和58年)から始まる全日本耐久選手権1987年昭和62年)より全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権=JSPC)にも参戦童夢トムス共同開発によるトムス・83C1983年) - 88C(1988年昭和63年))を経て8気筒ターボエンジン新開発し、88C-V(1988年) - 92C-V(1992年平成4年))を送り込む1987年昭和62年)からはトヨタの名を冠した「トヨタチームトムス」として参戦開始TRD開発主導することになり、マシン名も「トムス」から「トヨタ」となり、オイルショック以降中断していたワークス活動事実上再開となった1985年昭和60年)からはル・マン24時間レースにも参戦開始し1989年にはイギリストムスGB拠点として世界スポーツプロトタイプ選手権 (WSPC) にもフル参戦する。ル・マンには1990年平成2年)まではターボエンジン車で参戦し1992年1993年には当時のF1と同じ規定造られ自然吸気3.5リッター10気筒エンジン搭載したTS010参戦1992年のスポーツカー世界選手権 (SWC) 第1戦のモンツァで、日本人小河等優勝している。同年ル・マンでは関谷正徳日本人初め総合2位表彰台上がった1993年にはサードの93C-VがC2クラス優勝獲得している。1994年にはサードが92C-Vを改造した94C-Vで出場、しかしポルシェ962CGTとして改造した掟破りとも言えるダウアー962GTの前にまたも2位に終わる(LMP1/C90クラス優勝)。1995・1996年には続けてサードスープラGT1クラス参戦したが、クラス8位・15位に終わった1998年平成10年)から1999年平成11年)にかけては、TTE中心に開発したToyota GT-One (TS020)ル・マン参戦マシン性能他社比べて優れていたが、マシントラブルのために最高成績1999年総合2位止まりに終わる(LMGTPクラス優勝)。 その後10年以上はF1参戦のため途絶えていたが、2012年ハイブリッドエンジン搭載するTS030 HYBRIDで、ル・マン24時間を含むFIA 世界耐久選手権復帰オペレーションTMGオレカジョイントして行うことになった日本人ドライバーとして石浦宏明参戦する予定であったが、腰を痛めていたこともあり中嶋一貴代わりに参戦そのままレギュラーとなったTS030ル・マンでは途中首位を奪うシーンもあったものの、2012年は2車ともリタイヤ、翌2013年ル・マン2位と4位に終わった。しかしWECでは活躍し2012年のFIA 世界耐久選手権6戦と2013年のFIA 世界耐久選手権全8戦の計14戦中5勝を挙げた2014年からはトヨタ初の四輪駆動LMP1であるTS040 HYBRID投入したル・マンでは中嶋一貴日本人初めPP獲るものの、豪雨でのクラッシュとマシントラブルで3位終わった一方WECでは全8戦に出場し5戦で優勝したことによりマニュファクチャラーズランキングドライバーズランキングトヨタ2車が同点優勝)の両方悲願スポーツカー世界選手権タイトル獲得果たした2015年は、大量開発費投入してル・マンで5秒ものタイムゲインをしたポルシェ・アウディついていくことができず、良いところ無く一年終えている。 2016年ル・マン勝利することのみを主眼置いたTS050を、突貫開発し一年前倒し投入。その甲斐あってル・マンでは終始有利な展開で進めたが、残り数時間2位争いをしていた小林可夢偉スピンし、ポルシェ2位盤石にされる。さらに残り6分トップ快走中の中嶋一貴マシン駆動系トラブル発生ホームストレート上にストップしル・マン制覇悲願は露と消えた。またWECでは苦戦強いられたが、富士では戦略この年デビューした小林可夢偉頑張りによって2秒差でアウディから逃げ切って約二年ぶりの勝利を挙げた2017年ル・マン三台体制となり、3台目前年スーパーフォーミュラ王者国本雄資エントリーしたル・マンでは小林可夢偉コースレコード更新する走り予選ポールポジション奪取決勝最初6時間を1-2体制レース支配したものの、3台ともトラブル見舞われた。特にトップ快走していた7号車トラブルは、夜間のSC中のピット出口赤信号止まっていたところ、マーシャルと同じ橙色レーシングスーツ着たアマチュアドライバーが応援のためにサムアップしに来たのを、発信可の合図勘違いした結果起きたという信じられないアクシデントよるものだった。結局この年8号車総合8位(クラス2位)に入るにとどまったWECシリーズ通してル・マン以降劣勢であったもののその後挽回しタイトルには届かなかったが、優勝回数ポルシェ上回った2018年ル・マンはTS050二台体制出場しセバスチャン・ブエミフェルナンド・アロンソ中嶋一貴8号車優勝小林可夢偉らの7号車2位となり、20回目挑戦にして初めル・マン総合優勝成し遂げた日本メーカーとしてはマツダマツダ・787B以来27年ぶり2度目日本人ドライバーとしては荒聖治チーム郷アウディ・R8以来14年ぶり3度目ル・マン総合優勝であり、日本メーカー車両日本人ドライバー搭乗して優勝するのは初めであった

※この「ル・マン挑戦」の解説は、「トヨタ自動車のモータースポーツ」の解説の一部です。
「ル・マン挑戦」を含む「トヨタ自動車のモータースポーツ」の記事については、「トヨタ自動車のモータースポーツ」の概要を参照ください。

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