リーマン・ショックまで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/09 08:54 UTC 版)
浜松市内のバス路線が一元化されたことを受け、遠州鉄道・浜松市役所・市民の3者で浜松の交通に関する協議会「浜松市バス交通対策調整協議会」が発足し、浜松の交通に関して3者でともに協議していくこととなった。 それ以降、夜間のみ住宅地でフリー降車制度を導入したり、雨天時のみ増発便を運行する「レイニーバス」の運行を開始したりするなど、遠鉄バスではさらに積極的に新施策を導入していくことになり、1987年10月の磐田山の手線、大塚萩丘線、中田島住吉じゅんかん、鶴見富塚じゅんかん、さぎの宮線、都田線への都市新バスシステムの導入、1992年2月の磁気プリペイドカード「ETカード」の導入、1997年夏以降の長期休暇小人1乗車50円、1997年10月の超低床ノンステップバス導入などの各種施策も積極的に行なわれた。コミュニティバスは1997年10月に運行を開始した豊田町(当時)から委託された「ユーバス」を皮切りに各地区で運行されている。 1997年12月にはバス路線総合整備モデル事業実施都市や浜松市バス交通対策調整協議会などの功績を受け浜松市が日本初のオムニバスタウンとして指定されたことを受け、バスを活用した街づくりを進めることになった。これ以後の遠鉄バスの導入車両は基本的にはアイドリングストップ装置付超低床ノンステップバス(遠州鉄道では超低床オムニバスまたは単にオムニバスと呼称)となり、従来車も含めた全車内には案内表示装置にて情報発信も行い、バス停留所もコミュニティ情報板を設置するなどの施策を行なった。またこの頃よりさらなるエコドライブ運動(経済運転)の強化を行い、現在の経済運転につながっている。一方で、山間部の路線では路線そのものの維持のため、行政主導によるバス運行なども行なわれているが、これらの運行を受託したり、1999年には退職乗務員の受け皿もかねて車両運行管理請負を行なう子会社「遠鉄アシスト」の設立も行なわれるなど、「地域の人が移動することに関しては遠鉄グループが必ず関わる」という体制をとるようになった。なお、2002年10月にはかつて遠鉄バスの水窪線だった国鉄バス天竜線が再び遠鉄による運行となり遠鉄バス北遠本線になっている。 オムニバスタウン指定を受け、遠鉄と浜松市ではさらなる利便性向上に力を入れた。1998年3月にはオムニバスタウン指定記念シンポジウムを開催とPTPSの導入が、7月には初乗りの150円から100円への値下げが、11月には乗り降りらくらくバス普及セミナーが、それぞれ実施されている。1999年2月には全線定期のワイドフリー定期券販売開始と運賃区界の増設、3月の環境セミナー開催、4月には浜松市商店会連盟の制度加盟店で買い物をすると100円補助券が貰えるお買物乗車券制度導入、6月の浜松駅・磐田駅を20時以降に発車する一部路線の下り便での住宅地でのフリー降車制度導入、10月の上限運賃630円設定、2000年には9月のシルバーワイドフリー定期券販売開始、9月以降毎年敬老の日から1週間の高齢者1乗車100円運賃の導入、10月のインターネットバスロケの導入など、各種施策が展開された。また、1999年3月15日〜28日には鍛冶町通りにて一般車の乗り入れを規制するトランジットモールの実証実験を全国で初めて実施した。 21世紀に入っても積極的な施策は引き続き行われている。2001年4月の中距離運賃値下げを皮切りに、2002年からのICカード「EG1CARD」の試験導入、そして2004年のICカード「ナイスパス」の本格導入が行われた他、最終バスの延長ならびにウィークエンドライナーやふゆほた臨時便などの臨時最終便の運行が開始された。2006年にはミニバスターミナル構想に基づき浜松市と共同で「すいすい・くるーり」バス実証実験が行われた。また、2002年4月からは通学ウィークデー定期(平日定期)の販売が開始開始されている他、シンポジウムとしては2002年11月の「オムニバスタウンサミット」、2003年9月の「バスがやさしい、心のユニバーサルデザインの日」が開催されている。 また、2005年には中部国際空港の開港に合わせて空港リムジンバスに参入。e-wingという愛称で、現在も運行中である。
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