リオデジャネイロ五輪まで
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「福士加代子」の記事における「リオデジャネイロ五輪まで」の解説
2016年1月31日、リオデジャネイロ五輪の代表選考会を兼ねた大阪国際女子マラソンに出場。「私もヒロインになりたい」と意欲を語り臨んでいたレースでは、中盤から独走態勢となり派遣設定記録を突破する2時間22分17秒(マラソン日本女子歴代7位)で、3年ぶり2度目の優勝を達成。これにより福士自身初めて女子マラソンの種目で、リオ五輪日本代表入りの有力候補に名乗りを挙げる。優勝インタビューで福士は「やっと取ったよ、1等賞。リオ決定だべえ!」と既に五輪決定したものと信じ、喜びを爆発させていた。 福士サイドはリオデジャネイロ五輪・女子マラソン日本代表内定への打診を日本陸連に依頼するも、陸連は「現時点で『リオ五輪内定』は出せない」と却下。その後福士サイドは「五輪内定を出さないなら、(国内最終選考会である)3月の名古屋ウィメンズマラソンに一般参加選手として出走させる」と、抗議の姿勢を示した。福士サイドの周囲やファン等から名古屋ウィメンズの強行出場に反対意見が飛び交う中、日本陸連も「名古屋に出るのは避けて欲しい」と福士サイドに異例の要望を発表した。 2月21日に、1年のうち10回前後もフルマラソンを出場する公務員ランナー(当時、のちプロランナーに転向)の川内優輝は記者会見で、福士の名古屋出場の意向に対し「全然問題ない。(中略)私もできるならかき乱してみたい。逆に福士さん以外の選手が疲れると思う。天候が悪ければ出なければいいし、ペースメーカーを無視して飛ばして、途中で辞めてもいい。すべては福士さんの手の平の上で操られている」と一連の動きを福士側の“神経戦”ととらえ、「福士さんの一挙一動に神経をすり減らしていると思う。福士さんが出ればハイペースについていくのかいかないのか。精神の弱い選手ならオーバートレーニングになって出てこれない可能性だってある。すごいプレッシャーになっている」と独自の持論を述べつつ、福士にエールを送っていた。 川内と全く逆に、1992年バルセロナオリンピック女子マラソン日本代表が有力視されながら選出を逃した松野明美は、2月28日にフジテレビ「ワイドナショー」へ出演中、「(名古屋ウィメンズも出場したら)五輪本番前に選手が疲れる。リオでメダルを取ろうと思うなら出ないほうがいい、出て欲しくない」と発言した。また、五輪マラソン選出基準を松野は「わかりにくい」と述べ、選出枠と選考レース数のアンバランス(3人に対して4レース)や選考基準の不透明さ(「記録なのか、順位なのか、経験なのか、陸連の好みなのか」)について、日本陸連を批判した。松野は自身の経験から「(たとえ内定が出ても陸連の)口約束が一番怖い。私もされた。大阪で2位になったが、(代表入りが)非常に危ないということで、(この記録で代表が)無理なら名古屋で走りますと言うと、日本陸連の方が、『(大阪の結果で)大丈夫だと。ほぼ間違いないだろう、選ばれる』と言われたので、口約束だったがそれを信じて名古屋に出なかったら、なぜか知りませんが、世界陸上で4位だった有森さんと、(大阪2位の)私という選考になった。」とコメントし、バルセロナ大会の結果(有森裕子が3位、山下佐知子が4位)について質問に対し「(自分が出場していたら金メダルを)とっていました。悔しくて悔しくて涙が出ました。」と答え、選考に対して選手の抱く考えを述べるとともに「一発勝負が絶対いい」とした。 紛糾の末、ワコールの永山監督は福士の名古屋ウィメンズマラソンへの出場撤回を宣言。3月13日に開催された名古屋ウィメンズでは、結局日本女子選手の派遣記録突破者が出なかったため(最高タイムは総合2位・田中智美の2時間23分19秒)、同日の名古屋終了後に陸連は福士へ女子マラソン事実上内定を出すと公表した。 4日後の3月17日、リオ五輪女子マラソン日本代表へ正式に選出された(マラソン種目では初めて)。日本の陸上女子選手でオリンピック4大会連続日本代表入りは、佐藤恵(フィールド競技・女子走高跳)と弘山晴美(トラック競技・女子長距離走)の3大会連続を超える、史上最多記録である。また、同年8月14日開催のリオ五輪女子マラソン本番当日の福士は34歳4か月を迎え、日本女子マラソン選手としても史上最年長記録となる。福士自身は日本陸連が開いた代表選手記者会見には姿を見せず「リオ五輪で私は金メダルが欲しいので、何があろうと諦めず覚悟を持って走ってきます!」との手書きコメントを発表するのみに留まった。 リオ五輪代表決定後の2016年5月15日、高橋尚子杯ぎふ清流ハーフマラソン・女子の部に出走するも、優勝のユニスジェプキルイ・キルワには3分以上離され、1時間12分04秒の6位留まりだった。6月26日の函館マラソン・ハーフ女子の部に出場予定だったが、右足に痛みを訴え欠場。「右足疲労骨折の疑い」と発表されたが、福士も永山監督も「第4中足骨(薬指)に炎症があったが折れていない。リオ五輪に向けて大事を取った」と重傷ではないことをアピールしていた。 2016年8月14日、初めて女子マラソン種目に出場したリオデジャネイロ五輪本番では、20km地点までは先頭集団に食らいついたが、その後脱落。同じ日本選手の田中智美(第一生命保険)との争いとなり、結果日本人ではトップの14位に入るも、4回目のオリンピックでも8位以内の入賞は届かなかった。
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