ポスト構造主義・ポストモダニズム
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/12 15:17 UTC 版)
「現代思想」の記事における「ポスト構造主義・ポストモダニズム」の解説
1966年、ストラスブール大学に端を発した学生運動はフランス全土に拡大し、いわゆる五月革命がおこると、あろうことか本来労働者の側にあるはずのフランス共産党 (PCF) がストライキを押さえ込み、当時の左翼文化人もこれを支持し、マルクス主義への民衆の幻滅を後押し、マルクス主義の頽落と共に近代的な主体という概念を前提に、積極的な政治参加を肯定したサルトルの実存主義も運命を共にすることとなった。五月革命の結果は、左翼勢力が民衆の支持を失い、保守勢力による安定的な政治・ハイテクを背景にした大量消費社会の実現を準備したのである。 そして、実存主義・マルクス主義を批判してきた構造主義にも批判が生じ始める。構造主義は、主体たる人間が無意識的に普遍的な構造に規定されていると主張し、現象の背後にある構造を分析することによって、あるシステムの内的文法をとりだすことができ、各システムはそれにしたがって作用する。そこでは、あらゆるものが予想可能になり、偶然性や創造性といったものが排除されてしまうのである。 いわゆるポスト構造主義の論者とされる者たちは、構造主義のもつ、構造を静的で普遍的なものとし、差異を排除する傾向に対して、それは西洋中心のロゴス中心主義であるとして異議を申し立てたのである。デリダによると人間が言葉(ロゴス)によって世界の全てを構造化できるという発想自体、実存主義・マルクス主義と同様に西欧形而上学から抜け出せておらず、構造主義によって形而上学を解体しようという試みもまた形而上学にすぎないと批判し、脱構築による階層的な二項対立を批評する。ミシェル・フーコーは、当初構造主義者とみられていたが、権力の構造を暴くことにより、西欧的な理性・絶対的な真理を否定していることから、ポスト構造主義者とみられるようになった。 そのような状況下において、リオタールは、『ポストモダンの条件』(1979年)を著したが、彼によれば、「ポストモダンとは大きな物語の終焉」なのであった。「ヘーゲル的なイデオロギー闘争の歴史が終わる」と言ったコジェーヴの強い影響を受けた考え方である。まさにマルクス主義のような壮大なイデオロギーの体系(大きな物語)は終わり、高度情報化社会においてはメディアによる記号・象徴の大量消費が行われる、とされた。この考え方に沿えば、“ポストモダン”とは、民主主義と科学技術の発達による一つの帰結と言える、ということだった。 このような文脈における大きな物語、近代=モダンに特有の、あるいは少なくともそこにおいて顕著なものとなったものとして批判的に俎上に挙げられたものとしては、自立的な理性的主体という理念、整合的で網羅的な体系性、その等質的な還元主義的な要素、道具的理性による世界の抽象的な客体化、中心・周縁といった一面的な階層化など、合理的でヒエラルキー的な思考の態度に対する再考を中心としつつも、重点は論者によってさまざまであった。したがって、ポスト・モダニズムの内容も論者や文脈によってそうとう異なり、明確な定義はないといってよいが、それは近代的な主体を可能とした知、理性、ロゴスといった西洋に伝統的な概念に対する異議を含む、懐疑主義的、反基礎づけ主義的な思想ないし政治的運動というおおまかな特徴をもつということができる。その意味で単なる学説・思想ではなく、より実践的な意図をも包含するムーブメントといえるのである。それは左翼なき社会、大量消費社会において、自由と享楽を享受しながらも、反権力・反権威である続けるための終わりない逃走なのである。
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ポスト構造主義・ポストモダニズム
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/13 00:17 UTC 版)
「フランス現代思想」の記事における「ポスト構造主義・ポストモダニズム」の解説
1966年、ストラスブール大学に端を発した学生運動は、フランス全土に拡大し、いわゆる五月革命が起こった。しかし、あろうことか本来労働者の側にあるはずのフランス共産党(PCF)がストライキを押さえ込み、当時の左翼文化人もこれを支持した。そのため、マルクス主義への民衆の幻滅を後押し、近代的な主体という概念を前提に、積極的な政治参加を肯定したサルトルの実存主義も運命を共にすることとなった。五月革命の結果、左翼勢力が民衆の支持を失い、保守勢力による安定的な政治・ハイテクを背景にした大量消費社会の実現を準備した。 そして、実存主義・マルクス主義を批判してきた構造主義にも、批判が生じ始める。構造主義は、主体たる人間が無意識的に普遍的な構造に規定されていると主張し、現象の背後にある構造を分析することによって、あるシステムの内的文法を取り出すことができる。しかし、そこでは、各システムはそれにしたがって作用するため、あらゆるものが予想可能になり、偶然性や創造性といったものが排除されてしまう。つまり、構造主義には、構造を静的で普遍的なものとし、差異を排除する傾向があるのである。 それに対して、いわゆる「ポスト構造主義」者とされる者たちは、構造主義は西洋中心のロゴス中心主義であるとして異議を申し立てた。たとえば、デリダによると、人間が言葉(ロゴス)によって世界の全てを構造化できるという発想自体、実存主義・マルクス主義と同様に西欧形而上学から抜け出せておらず、構造主義によって形而上学を解体しようという試みもまた形而上学にすぎないと批判し、脱構築による階層的な二項対立を批評する。ミシェル・フーコーは、当初構造主義者と見られていたが、権力の構造を暴く研究を精緻化させる思想傾向に転じ、ポスト構造主義者と見られるようになった。 そのような状況下において、リオタールは、『ポストモダンの条件』(1979年)を著した。リオタールによれば、「ポストモダンとは、大きな物語の終焉」である(これは「ヘーゲル的なイデオロギー闘争の歴史が終わる」と説いたコジェーヴの強い影響を受けた考え方である)。つまり、マルクス主義のような壮大なイデオロギーの体系(大きな物語)は終わり、高度情報化社会においては、メディアによる記号・象徴の大量消費が行われるのである。この考え方に沿えば、"ポストモダン"とは、民主主義と科学技術の発達による一つの帰結と言える。 このような文脈における大きな物語、近代=モダンに特有の、あるいは少なくともそこにおいて顕著なものとなったものとして批判的に俎上に挙げられたものがいくつかある。たとえば、自立的な理性的主体という理念、整合的で網羅的な体系性、その等質的な還元主義的な要素、道具的理性による世界の抽象的な客体化、中心・周縁といった一面的な階層化などである。このように、ポストモダニズムは、合理的でヒエラルキー的な思考の態度に対する再考を中心としつつも、重点は論者によってさまざまであった。したがって、ポスト・モダニズムの内容も、論者や文脈によって相当異なり、明確な定義はないといってよい。しかし、それは近代的な主体を可能とした知・理性・ロゴスといった西洋に伝統的な概念に対する異議を含む、懐疑主義的、反基礎づけ主義的な思想ないし政治的運動というおおまかな特徴を持つということができる。したがって、その意味では、単なる学説・思想ではなく、より実践的な意図をも包含するムーブメントといえるのである。それは、左翼なき社会、大量消費社会において自由と享楽を享受しながらも、反権力・反権威である続けるための終わりない闘争なのである。
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