ポスト微分積分学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/13 12:00 UTC 版)
テイラーは1715年に、マクローリンは1742年に優れた研究を発表した。しかしながら、イギリスにおいては、科学者たちはニュートンの記法に固執したため、微分積分学の研究は没落していった。ニュートンの記法では微分した変数と階数しかわからず、何を何で微分したか分からないため、とくに偏微分においてはライプニッツの記法が圧倒的に優位に立っていたのである。この後イギリスの没落は長らく続き、再び大陸に対し優位を取り戻すには20世紀初頭のG・H・ハーディの登場を待たねばならなかったとすらいわれる。 これに対してライプニッツの記法を抵抗なく用いることができた大陸では、ライプニッツと繋がりのあった有名な数学者の一族であるベルヌーイ一家や、更に彼らと繋がりのあったロピタルらによって多変数の微分積分学や複雑な式の形の微分方程式、変分法といった解析学が急速に発展していった。 その後18世紀には、オイラーらによってこれらの問題は統一的に体系化され、解析学は大きな進歩を遂げた。とくに微分方程式を用いた様々な問題が生まれ、彼の著書「無限解析序説」では冒頭で関数とは解析的式 であると定義されているが、彼が解析学を関数の研究を主眼として見ていたとすれば大変興味深い内容であるといえる。
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