ポスト実証主義の科学論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 21:08 UTC 版)
「パラダイム」の記事における「ポスト実証主義の科学論」の解説
これらを通観して見てみると、クーンにとっての本来的な問題関心は、二つに集約できることがわかる。 第1に、クーンが自らの議論を、主として制度的な科学(それは彼自身が経験してきたものである)に求めていると言うこと。この点に関連して、「見本例」としてのパラダイムないし専門図式の重要性は、かれの言う専門家集団としての科学者集団の性格付けの上でも注目するべきである。ここで強調されているのは専門家育成の教育の意義であり、その限りで、専門家を系統的に教育・訓練し、さらには活動の場を与える学校や大学、研究所などを伴う制度化された科学に焦点が当てられているのである。 第2は、科学を実際活動のそれ以上でも以下でもなく捉えること。既に見たように、言ってみれば「クーン以前」に属する科学論は、実は科学の活動そのものには関心を抱いてこなかった。先の節で示したように、その関心のある部分には、歴史的・社会的……等々の文脈を超越した無条件の真理への期待が込められていたが、しかしながらそうした関心は、反形而上学を意図しながら別の形の形而上学的なものに他ならない。また、そうした仕方で描かれる科学の像は、専門家活動としての科学から遠いものと言わなければならないだろう。クーンの議論は、そうした科学外的な関心によって横取りされてしまった科学の像を、いわば取り返すことを目指していると理解される。そして、この関心にしたがって、科学分野における真理(公理・存在など)は、あくまでその分野の科学者集団という共同体の文脈のもとでのみ有意なものであるという地位へと再定位させられることになる。こうした彼の科学論はある種の相対主義をも導くと言いうるが、そのことによって失われるものは無いとクーンは明言する。クーンは、それらのような科学理論外への真理概念の適用、いってみれば形而上学的実在論、の立場をとってはいない。科学による絶対的真理への接近という19世紀のホイッグ的進歩史観からは、人によっては「最後の審判」に比するような神学的イメージを想像させることもあるが、真理概念の理論内的(intra-theoretic)な適用のみを認めるクーンの視点は、有限の人間的視点に科学を引き留めるものである。 このように、クーンの「パラダイム論」は、ポパーらが非難したように「なんでもあり(anything goes)」ではないし、進歩の否定や単なる現状是認でもない。誤解を恐れず言えば、科学者集団(科学者共同体)という「歴史性」をそなえた実定性と、やはり歴史的であるが故の可変可能性という、二つの側面の結節において科学をとらえているのであり、ポパーやウイーン学団のような科学「哲学」や、「反権威」の仮託ゆえに概念的な過剰負担を強要するプログラムとは、一線が画されている。 またさらに、クーンは「“伝統に縛られた”通常科学」の時代だけでなく、非累積的断絶で区切られた革命の時代(小文字の科学革命)もまた繰り返されると語る。 パラダイムあるいは専門図式の提出したものは極めて多面的かつ複雑である。
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