ウイーン学団とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > デジタル大辞泉 > ウイーン学団の意味・解説 

ウィーン‐がくだん【ウィーン学団】


ウィーン学団

(ウイーン学団 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/08 20:54 UTC 版)

ウィーン学団(ウィーンがくだん、ドイツ語: Wiener Kreis英語: Vienna Circle)とは、ウィーン大学の哲学教授モーリッツ・シュリックを中心とする科学者哲学者のグループである。論理実証主義を標榜した。

ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』やマッハ科学哲学から影響を受けて、数学者のハンス・ハーン、科学哲学者のシュリックを中心とした研究サークルが形成された。1929年に組織を整えてウィーン学団を名乗り、活動を広げていった。ルドルフ・カルナップオットー・ノイラートと共に、学団の方針を示した「科学的世界像」を発表した。ウィトゲンシュタインはウィーン学団の一部のメンバーと交流はあったが、この学団と完全に見解を同じくしていたわけではなかったので、学団の活動に参加することはなかった。カール・メンガーハーバート・ファイグル、ヴィクトル・クラフトなどが学団のメンバーである。

クルト・ゲーデルはハンス・ハーンの元で学び、ウィーン学団のメンバーとも交流はあったが、批判的な立場であった。カール・ポパーもハンス・ハーンの元で学び、ウィーン学団のメンバーとも交流はあったが、批判的な立場であった。

1933年、ハーンが病死、1936年、ドイツ人であったが、「有意味な命題とは検証可能な命題である」とする「意味の検証理論」の提唱などで現象学や形而上学などの科学性を否定し、その活動が「ユダヤ的」とみなされたシュリックが、元教え子の国粋主義者ヨハン・ネルベック Johann Nelböck (のちにナチス党へ入党)に、ウィーン大学で講義に向かう途中に射殺された。ナチスの弾圧から逃れるために、残された参加者の多くはアメリカに亡命し、学団自体は立ち消えになったが、その考えが米英に広まることになった。

参考文献

関連項目

外部リンク



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ウイーン学団」の関連用語

ウイーン学団のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ウイーン学団のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのウィーン学団 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS