ボディ外観
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 09:58 UTC 版)
発表時から絶えず悪口や嘲笑の的に、更には無数の冗談の種になった珍無類のスタイルであるが、きわめて合理性に富んだ機能的デザインである。実用性を最重視しつつも、結果として極めて個性的かつユニークなスタイルとなった外観は、現在でも多くの支持者を集めている。 1960年までは外板の一部(ボンネット等)に強度確保のため波板構造を用いており、ユンカースの古典的輸送機を思わせる機能優先な外見だった(1961年以降は 5本峰の補強外板となった)。 原設計が1930年代にされた自動車らしく、グラスエリアが狭くフロントフェンダーも独立した古い形態を残している。ボンネットは強度確保のため強い丸みを帯びており、その両脇に外付けされたヘッドライトと相まって、2CV独特の動物的でユーモラスなフロントスタイルを形成している(2CVは静荷重による姿勢変化が大きいため、ヘッドライトは簡単に光軸調節ができる設計)。 フロントグリルは細い横縞状の大型グリルで、ボンネットフードはフェンダーのすぐ上から開く構造だった。1961年にボンネットフードと共にグリルも小型化され荒い横縞となった。どちらも、寒冷時にエンジンのオーバークールを防ぐため布またはプラスチックのカバーが用意されていた。 客室部分は4ドアを標準とする。初期のドアは中央のピラーを中心に対称に開き、上に引き抜くことで簡単に取り外すことも出来た。1964年に安全上の理由から前ヒンジとなった。 居住性を重視して円弧状の高い屋根を備え、ガラスは簡素化のため平面ガラスしか使われていない。側面も複雑な曲線は持たず、幅員の有効活用のため1930年代の多くの自動車のようなホイールベース間の外部ステップは持たない(この点、同時代のフォルクスワーゲン・ビートルより進んでいた)。徹底した機能主義的デザインには、同時代を代表する近代建築家ル・コルビュジエからの影響が指摘されている。 ル・コルビュジエは建築家としての合理主義から、第一次大戦後のシトロエンによる自動車量産の企図に共感を抱いており、建築の分野において同様なマスプロダクションや合理化を目した1920年以降のコンセプトには、シトロエンへのオマージュを含んだ「シトロアン(Citrohan)住宅」という名が与えられた(ル・コルビュジエの建築作品-近代建築運動への顕著な貢献-も参照)。更に1928年からは自ら、"Voiture Minimum"(最小限の車、ミニマムカー)という独自の小型車コンセプトを打ち出し、1936年にはあくまでモックアップではあるが、3座+1座でリアエンジンの超小型車デザインを発表した。その平面と円弧を多用した単純なスタイルは、ほどなく後を追って(秘密に)開発されたシトロエン試作車に類似しており、一方それ以前からル・コルビュジエ自身が愛用していたヴォワザン車からの影響も垣間見える。 前部窓下にはパネルを開閉するタイプの(原始的だが効率よく通風できる)ベンチレーターを備える。虫や落ち葉等の異物侵入防止目的で、開口部に金網が張られている。 側面窓は複雑な巻き上げ機構を省き、中央から水平線方向にヒンジを持つ二つ折れ式である。開け放しておくときは、下半分を外側から上に回転させて固定式の爪に引っ掛けておく。初期のモデルには方向指示器がなく、ドライバーがこの状態で窓を開け、腕を外に出して手信号で指示することを想定していた。プリミティブの極致であった。 リアフェンダーは曲面を持った脱着式で、後輪を半分カバーするスパッツ状である。タイヤ交換の場合、ジャッキアップすればスイングアームで吊られた後輪は自然に垂下して作業可能な状態になるので、着けたままでも実用上の問題はない。 屋根はキャンバス製が標準で、好天時には後方に巻き取ってオープンにできる(初期型はトランクの蓋までもが幌製だったが、1957年金属製となった)。キャンバストップとしたのは、軽量化やコストダウンの他、空冷エンジンの騒音を車内から発散させる効果も狙ったものである。このため、背の高い荷物も屋根を開ければ簡単に運べた。2CVの広告イラストには、キャンバストップを取り払って背の高い柱時計や箪笥等を積み込み疾走しているものも見られたが、これは決して誇大広告ではなかった。 他にも、中央に1つだったストップランプを標準的な2つに、太いCピラーに窓を付けるなど大小さまざまな改良が加えられたが、基本的な形状は42年間変わらなかった。
※この「ボディ外観」の解説は、「シトロエン・2CV」の解説の一部です。
「ボディ外観」を含む「シトロエン・2CV」の記事については、「シトロエン・2CV」の概要を参照ください。
- ボディ外観のページへのリンク